生きるためのモチベーション
- Qどうすれば生きるためのモチベーションが湧きますか?
- A
環境や身体の状態を整えれば自然と生きる意欲は湧き上がってきます。
前向きに考えようって思っても、どうしても生きることに対して意欲が湧かないの。私っておかしいのかなあ。
植物を見てごらん。あいつらは悩んだり考えたりせずに根や枝葉をどんどん伸ばしていくね。あれは植物たちにとっての「生きる意欲」の表れさ。
そうね。私もあーやってどんどん枝葉を伸ばして、いろんなことに挑戦したり人生をこころから楽しんでみたいの。けどそういう風にどうしても考えられない。
植物だって生きる意欲を失うことがあるさ。君は植物が萎れちゃってるのをみたことがあるだろう?
水分が少なかったり、逆に多かったりすると元気がなくなって枯れてしまうこともあるわね。
君たち人間だって同じことさ。生きる意欲がなくなってしまっているってことは、環境や身体の状態に問題があるってだけのことさ。なぜだか君たち人間はそれをすぐに「心の問題」だなんて勘違いして、「自己の探求」なんかを始めてしまうんだけどね。
「生きる意欲が湧かないこと」が心の問題と関係がないなんて初めて聞いたわ。だけど、確かに私たち人間も「考える存在」であることより前に、植物たちと同じ「生命を持った存在」なのよね。
君たち人間は意識や自己ってものを過大視ししすぎたために、本来「人間も他の動植物とほとんど変わらない生き物」なんだってことを忘れてしまったのさ。そのことが生きることをなんだかとても難しい問題のように感じさせてしまっているだけなんだよ。
ミロクはどうしてそんな誰も知らない本当のことを知っているの?
そんなの簡単なことだよ。それは僕が人間なんかじゃなくて猫だからだにゃー。
世の中から自殺がなくならない理由
- Qどうして「自殺」は無くならないんですか?
- A
問題を複雑化して、的外れな対処をしてしまっているからです。
15歳〜39歳までの日本人の死因第一位が、癌や不慮の事故を抑えて「自殺」なんだって。。。人類って、今までいろんな感染症や疾病を克服してきた歴史を持っているのに、どうして自殺の問題は解決できずにいるの?
今回のコロナウィルスには少々手こずっているようだけど、そう遠くないうちに克服してしまうだろうね。それは人類がそういった問題に真剣に取り組んでいるからさ。だが、こと「自殺」については君たちは問題に対して少しも真面目に向き合おうとしない。
真面目に向き合っていない?そんなことないわ。厚生労働省の取り組みを見てもわかるように国家レベルで問題に取り組んでいるはずだし、精神科やカウンセラーによる治療だって行われているのよ。
ボクが言ってる「真面目」ってのはそういうことじゃないにゃー。真面目に取り組んでいるなら、こんなひどい有様にはなってないはずさ。君は実際にそれらの取り組みを活用して「死にたさ」を克服できたのかい?
いいや。まだよくはなっていないけど、精神科で薬を出してもらったり、カウンセリングも色々と受けてみたりしているの。これから、うん、きっと良くなるんだって思っているわ。。。
物事に真面目に取り組むっていうのはね、「その現象がどういったことなのか」、そして「それがどういった原因で生じているのか」ってことを正しく捉えた上で、その問題を解消していくってことなんだよ。なのになぜだか人間は「自殺」のことに関しては、こういった当たり前の対処ができなくなってしまうようだね。
私たち人間は「死にたい」って思いの正体や、それが起こる原因をそもそもわかってすらいないってこと?
そうだにゃー。君たちは「死にたさ」について語るとき、なぜだか善悪や道徳の話を持ち出してしまう癖があるんだな。
確かに、友達に「死にたい」だなんて言ったら怒られたり、軽蔑されてしまうかも知れないから怖くて言えないわ。それにそんなふうに考えてしまう自分のことが嫌いで仕方ないの。
ほらね。君たち人間はそうやって問題の本質を見失っていく。だから、いつまでも「死にたさ」を解消するためのスタートラインにすら立てずにいるんだ。それは自殺を思う君たち本人だけじゃなくて、治療者や国家・社会レベルでの認識にも当てはまることなんだけどね。
じゃあ、どうすれば私たちは自殺に真面目に取り組めるの?
まずは、「死にたい」って病は「胃潰瘍を患うこと」や、「交通事故に出くわすこと」と少しも変わらないことだってことに気づくことだね。自殺って問題を特別視しないことから始めなきゃね。理性主義が生まれて以来、人間たちは自殺っていう狂気(-病気)をブラックボックスの中に放り込んでそこから目をそむけちゃったんだよ。見えない相手に対して目をつむったまま対処しようとしているようなものだから、どれも的外れなものになってしまっていて当然なのさ。
確かに、私たちは「死にたい」っていう感情を特別あつかいしてるわ。それに過敏になりすぎてしまっているのかも。自殺っていう問題にもっと「シンプルに」向き合う必要があるのかも。。
なぜ「死にたさ」はなくならない?
- Q精神科やカウンセリングに通っていますが「死にたさ」がなくなりません。「死にたさ」はどうやってもなくならないんですか?
- A
「死にたい」と思うようになる前の地点に戻ることができれば「死にたさ」はなくなります。
例えばね、道に迷ったら、君はどうする?
そうね、迷っちゃったら、ひとまず道を引き返して、見覚えのある場所までもどろうとするかな。
そうだね。「死にたさ」を解消する方法だって同じさ。君たちはいつからか「死にたい」という道に迷い込んでしまったんだ。ならその迷う前の地点まで引き換えさばいい。たったそれだけのことなのさ。
それができたら悩んだりしないわ。戻れなくなってしまってるから困ってるの。
それはね、道に迷ってしまったって気がついた時に、焦ってさらに先に進んでしまったり、「優しい言葉をかけてくれる住人がいる小屋に連れ込まれて居座ってしまったり」、「いつまでも歩き続けられる魔法を魔女にかけてもらったり」して、さらに深みに迷い込んじゃったからなんだよ。
確かに、心の調子がおかしいって思った時、色々と調べたりして色んなことを始めちゃったわ。
体調を崩したり、気を病んだりってことは誰にでもあることさ。それに過剰に反応しちゃって、「まずは精神科に」、なんてやってしまうのが現代人だろ。おっかなくてみてられないな。そりゃ医者は目の前に患者が現れれば、何らかの診断名を与えて薬を処方するしかない。カウンセラーは深刻そうな顔をしてクライアントの話を聞いて、何度でも話しをしに戻って来るよう説得するさ。それがその人たちの仕事だからね。
それにネットを調べると色んな病名や診断名が出てきて、どれも自分に当てはまる気がしてきちゃったの。不安な気持ちに名前がつくことでなんだか安心できたりして。だから、私は異常なんだから精神科に行ったり、カウンセリングを受けなきゃいけないんだって。。。
そうやって引き返しのつかない深みにはまっていってしまうってわけだ。何も精神科を受診することやカウンセリングを受けることが悪いって言っているわけじゃないからね。薬だって正しく処方され正しく服用すれば迷いから抜け出す助けにはなるだろうね。それに有能なカウンセラーなら手を引いて道案内をしてくれるかも知れない。ただね、、、
ただ?
それらの助けはあくまで「手段」でしかないんだ。「目的」は来た道を引き返すこと、ただそれだけだよ。その目的を見失って手段にばかり囚われていつまでも迷い続けてしまう人がほとんどなんだ。だからこの国から自殺の問題が少しもなくならないのさ。もはや社会構造レベルで、「人々が自殺の病に迷い続けるための仕組み」が出来上がってしまっているんだよ。
そんな。。。私が「死にたさ」から抜け出せない理由ってそんな深いところに根があったの。私のせいだって思っていたのに。
そうさ。これは何も特定の職業の人たちのやることを非難してる類の話なんかじゃないんだ。それらに従事している人たちも目の前の仕事を必死にこなしてるだけでなんの悪意もない。部分的にみればそれぞれはそれで必要な仕事だ。だけど全体の構造として「自殺志願者が只管量産されて、一度迷い込むと抜け出せないシステムが出来上がってしまっている」っていう事実認識の話なんだよ。マルクスのいう下部構造のようなものだね。
じゃあ私たちはどうすればそこから抜け出すことができるの?
抜け出したけりゃ「猫の手」を借りればいいさ。ボクら猫は君たちの社会のルールの外にいるからね。中にいる人たちは今言ったような構造の中で生きてるから問題を把握することすらできないんだ。それを認識するにはね、一旦その外に出てそれを高いところから眺める必要があるんだよ。それができるのは今のところボクのような「よく喋るおかしな猫」だけだろうからね。
だけどミロクだって「迷い猫」なのよね?
猫の世界からすりゃボクは「迷い者」に違いないさ。言葉なんて面倒なものを身につけさせられたあげく人間の窮屈な世界に放り込まれちゃったんだからね。「死にたさ」なんてものは本来もっとシンプルに解消することができるものなんだ。だから、猫の手ならいつでもかすにゃー。
社会生活が嫌になったら死ぬしかない?
- Q仕事・家庭問題、全て煩わしくて死んでしまいたいです?
- A
仕事・家庭問題、全て捨てて(出家して)生き残ればいいです。
どうして生きていくのって、こうも辛いことばかりなのかな。こんな辛い思いして生きていくくらいなら死んだほうがマシだって思うの。
釈迦は一切皆苦って言ってたけど、娑婆を生きることは苦しみそのものなんだ。だからってね、何も死んでしまうことなんてないのさ。
生きていくには仕事や他人との関わりが必要で、身近な家族のことでも問題が山積みなの。
君たち人間の作った社会を生きていればそう思うのは当然のことさ。特に現代の日本社会はね。石を投げれば自殺志願者に当たるような状況だし、自殺者はいつまでも後を立たない。死にたいって思うのなんてホントは当たり前のことなのさ。世の中ではそれを異常なことだなんて決めつける嘘がまかり通っているけどね。
じゃあ私たちはやっぱり死んでそこから逃げ出すしかないのね?
そんなわけないさ。ボクだって社会なんてくだらない所からは逃げ出したけど、こうやってピンピンしてるさ。社会から逃げ出したいなら、社会の外に出ればいいだけなんだよ。なにもわざわざ死ぬことなんかないさ。
死ぬ以外に、どうやって抜け出すの?仕事はやめられないし、家族や人間関係もどこまでもついてくるわ。
人間ってのは案外と誉められたもんで、そのための仕組みってのを昔からちゃんと作ってるんだよ。それが出家さ。
出家?それってお坊さんのこと?
そうだよ。社会のしがらみの一切を捨てて出家してしまえばいい。死んでしまえば二度と社会に戻ることはできないが、出家なら、気が向いたらまた戻ることだってできる。「社会生活の苦しみから逃げ出すこと」=「死ぬこと」じゃあないんだよ。まあ、現代ではそういった仕組みはなかなか使われることはなくなってしまったけどね。
テレビで駆け込み寺なんてのを見たことあるけど、あれも同じかな。
そうだね。全てを捨てて、社会の外に出ることができたら、自殺してしまう人の数も相当減るだろうね。
だけど、実際は出家なんかできないわ。
ならそれを擬似的に行えばいいのさ。一人出家って言ってね、自分で勝手に社会から抜け出しちゃったってことにするんだ。
ミロクは猫だからそんな気楽なことが言えるのよ。だけど、死ななくても、この苦しみから逃げ出す道があるってことがわかったら、なんだか少し気が楽になった気がするわ。「あたしもいつか出家しちゃおうかな。」なんて。
猫は気楽が一番にゃー。そのうちボクたち猫が君たち人間のために気楽に出家できる場所を作ってあげるよ。その時はアンナも遊びに来るといいにゃ。社会生活なんか、たまに抜け出すくらいの気持ちでやってりゃちょうどいいのさ。みんな真面目にやりすぎちゃうからしんどくなっちゃうんだにゃー。
精神科の受診に迷ったら?
- Q最近、気分が落ち込むようになりました。精神科を受診した方がいいでしょうか?
- A
メンタルの調子が悪い→精神科を受診は、間違いです。
なんだか、ここ数日気分が落ち込んじゃってね。ネットで色々調べたんだけど精神科を受診しようって思ってるの。
そうかい。猫からするとそれってとっても異常な行動に見えるんだけど、君たち現代人にとってはそれが常識的な判断のようだね。
え?私の周りにも精神科に通ったり、薬を飲んでいる人はたくさんいるわ。少しも異常じゃないと思うんだけど。
あのね。例えば、君が大好きなそのスマホの調子が悪くなったとするにゃ。君はすぐにスマホを修理屋に持っていって、中身の部品を交換してもらったりするかい?
そうね。たまにスマホの動きが遅くなったりすることはあるけど、その程度だったら修理に出したりまでしないわ。だって修理に出しちゃうといろんなリスクがあるもの。情報が消えちゃったり、信用できる修理屋さんじゃないと分解された上で壊れてしまう可能性だってあるから。
そうだね。なのに君たちは自分のこととなると、とっさに分解して修理してもらおうとするってわけだ。それってスマホと同じくすごくリスキーなことなんだけどね。
えっと。確かにスマホをいきなり分解してしまうのは危険なことだけど、精神科にかかるってことはそんなに危険なことかしら。
それは「程度」と「段階」の問題さ。スマホだってある程度まで壊れてしまえば分解によるパーツの交換なんかは必要になってくるさ。だけど多くの問題は、そこまですることなく解消が可能な場合が多いね。
うん。私のiPhoneなんかは再起動かけたら大体は改善するし、この間、炎天下の車の中に放置してしまった時は、画面が固まっちゃって壊れたかと思ったけど、時間をかけて本体を冷ましたら元に戻って安心したわ。
それを焦って、分解なんかしちゃったら取り返しのつかないことになっていたかもしれないね。
そうね。トラブルシューティングっていうのかな。変なアプリをインストールしてからおかしくなってしまったら、そのアプリをアンインストールしてみるとか、異常が起きたとしても修理に出す前にやってみるべきことがいくつかあるわ。
ボクはそのことを言っているんだにゃー。そのトラブルシューティングってものをまともにせずに、いきなり精神科に通ってみたり、薬を飲んでみたりする人がほとんどなんだ。全くもって異常な事態だにゃ。
そう言われてみると、確かに現代人の精神の問題についての対処法って少し「飛躍」がある気がしてきたわ。精神科にすぐさま通う必要がある人がいることも確かだろうけど、全ての人がその程度や段階にあるとは限らない。。。
なのに「なんだか気分が落ち込みがち→精神科に行ってみよう」、だなんてみんなが口を揃えて言っちゃってるのさ。
けど、どうしてそんなことになっちゃったのかな?
そりゃ世の中の構造の問題さ。単純に言えば、当たり前の対処をしてくれる人や機関がないってだけのことさ。選択肢がないから、程度や段階に関わらず、精神に不調を感じた人、全てが精神科を受診して薬を飲み始めなきゃならないのさ。それが正しい対処かどうかは別にしてね。
そんな。それって明らかに正しくはないって思うわ。もしそれが正しい対処ならこの国にこんなに精神の問題で悩む人や、自殺者はいないはずよ。スマホの例えで言うと、正常か故障かのどちらかしかないってことよね。正常ではなくても故障ではない段階っていくらでもあるわ。
その通りだね。今の人間の世の中には健常か異常の二択しかないのさ。だからちょっとでも精神の不調があればみんな精神疾患者とみなされて薬を処方されてしまう。医者だって目の前に悩みを抱えた人が現れれば、診断名をつけて薬を処方するしかないからね。それが彼らの仕事だからね。
ちょっと調子を崩したからって、精神疾患者にされちゃうってすごく怖いことだと思うわ。一回自分にそういうレッテルを貼っちゃうと戻ってこれなくなってしまう気がするもの。
誤解のないように言っておくとね、ボクは、何も医者にかかることや服薬することを否定しているわけじゃないんだ。それは世の中や個々人にとって確かに必要なことだからね。問題は、仕組みが不足しているために、程度や段階の判別なしに「ザルですくうように」全ての人が精神疾患者とみなされてしまっていることの方なんだよ。
そんな話、ミロク以外してくれないわ。
ボクはいつでも当たり前のことしか言ってないにゃ。当たり前のことが当たり前で通らないってことはね、世の中の方が異常だってことさ。そんな異常な世の中で生活してりゃ、君たち人間が精神を病んでしまうのも仕方ないことだにゃ。
じゃあ、私たちはどうすればいいの?
ボクの当たり前の話に納得できたなら、あとは当たり前のことをすればいいだけだよ。わざわざ異常なことに従うことなんてないさ。
私の場合、まだ、精神科で薬を飲むほどじゃないって思うの。だから、そう、まずはトラブルシューティングをしなきゃ。
それでいいにゃ。トラブルシューティングのやり方がわからないって言うのなら猫の手をいつでもかすにゃ。ボクたちはいつでも当たり前のことを当たり前にやるだけさ。
当たり前のことで解消していたはずの問題が、当たり前のことができずに大きな問題になってしまっていたのね。このネット社会じゃ当たり前の情報が隠されちゃっていて、なかなかそこに辿り着くことができない気がするわ。
「世の中でまかり通る」ってことは「嘘」だってことなんだよ。本当の情報はいつでも隠されている。ボクら猫だけが知っているにゃー。
診断名は「救い」か?それとも、、、
- Q適応障害と診断されたり、うつ病と診断されたり、どれが本当なのかわかりません。
- A
精神に関わる診断名のほとんどは当てずっぽうです。
セカンドオピニオンって言葉を聞いて、ずっと通ってた病院と他のところを受診してみたの。そしたら今度はうつ病だって診断されちゃって、今は適応障害ってことで薬も処方してもらってるのにどちらを信用していいかわかんなくなっちゃった。
そりゃ医者なんか君の病気について当てずっぽうで名前をつけているんだから毎回診断名が異なって当然だよ。試しにもう一件行ってみたらいいさ。次は妄想性パーソナリティ障害なんて名前をつけられちゃうかもね。
そんなはずはないわ。お医者さんってしっかり勉強して資格を取って、たくさん経験を積んだ専門家なのよ。当てずっぽうで診断名をつけたりしないわ。
君たち人間は資格とか権威ってものを前にすると、途端に思考停止しちゃうんだよね。考えてみなよ、その医者はレントゲンや何かの方法で君の病気の原因を確認でもしていたかい?精神科の診療じゃ初診でさえせいぜい10分程度、話を聞いてもらうだけだ。神さまでもなきゃたったそれだけで君の病気の原因を特定することなんかできやしないさ。
だからってそんな適当なことをお医者さんがやってるとは思えないけど。。。
当てずっぽうだが、適当ってわけではないんだ。そもそも診断名ってものには2通りがある。一つは内的診断名、そして外的診断名さ。
内的診断名と外的診断名?
そうさ。内的診断名は、症状を引き起こす「原因」に由来する診断名だ。それに対して外的診断名は、「症状」そのものに由来する。つまり、「原因」と「現象」のどちらをもとに名付けをするかという違いさ。
原因と現象の違い?
具体的に説明するとね、胃潰瘍ってのは、「胃にできた潰瘍」という原因をもとにつけられた診断名だ。胃に潰瘍がない胃潰瘍なんてあり得ない。つまり胃潰瘍という診断名と胃にできた潰瘍には内的な関係が成立する。
確かに、胃の不快感を感じるという「現象」じゃなくて、実際に胃カメラで確かめた、「潰瘍」を根拠にして胃潰瘍って診断が下されるわね。
一方でうつ病をはじめとするほとんどの精神的な失調に対する診断名には診断に対応する特定の原因がない。これらの診断は「原因」ではなく患者が表す症状、つまり「現象」が基準となる。この時、様々な現象とうつ病という診断名の関係はあくまで外的なんだ。
私たち患者が感じていることって、受診する日や気分によってかなり変動があるわ。それに患者を診断するお医者さんだって人間なんだから、目の前の患者さんのことを楽観的に観察したり、悲観的に共感してしまったりっていう見立てのブレはある気がするの。
そうだね。原因は固定的なことが多いが、そこから発生する現象は流動的だし、それを観察する医師にだって気分や知識・経験の偏りが必ず存在する。だから現象を由来とする外的診断名が当てずっぽうの領域を出ることはないんだ。
けど、精神的な問題って、胃潰瘍みたいに原因を直接観察することがほとんどできないって思うの。
そうだね、生理学的には脳内の神経伝達物質の分泌異常や、脳の特定の部位の異常や損傷が原因なのかもしれない。だけどそれらをいちいち確認するなんてのは現実的じゃないね。だからこうやって外的な方法で診断名を下して、その診断に沿った処方や処置をするしかないのさ。
じゃあやっぱり私たちは診断名を頼りにするしかないのね。
いいや、大切なのは「診断名なんてそんなものだ」ってことをしっかりと自覚することなんだよ。診断名ってのは「誘惑」であり、「呪い」でもあるからね。
確かに、診断名がつくと何だか安心するの。自分は悪くないだって。それに今度はその診断名をネットで調べたりしてると、症状が全て自分に当てはまる気がしてどんどん自信がなくなってしまったの。
例えば果物を種に応じて分類していくと、今ボクたちが使っている果物の名前分けになるだろうね。同じ種(原因)からは同じ果物(現象)しかできない。一方で、果物の見た目、例えば色を頼りに名づけされたらどうなるだろう?「黄色い果物」・「赤い果物」って感じでね。
同じ「黄色い果物」でも、いろんなものがあって区別ができなくなっちゃうわ。
そうだね、「黄色い果物」って名付けをしてしまうことで返ってそれぞれの本質が見えなくなっちゃうんだ。別の果物たちをまとめて同じ袋に投げ込んで封をしてしまうようにね。
原因を特定してそれに一対一で対応した診断名を付けることがそもそも難しいから、仕方なくざっくりとした括りで診断名が付けられる。診断名を与えられて私たちは、それに引きずられるように診断名どおりの症状を発症して、そもそもの原因さえも見失っていってしまう。。。
そう。それがボクが診断名を「呪い」だっていう理由さ。医師にとっての薬の処方の判断基準や、患者の一時的な安心感、社会的な手続きのためには診断名は確かに必要なものではある。だけどそれは、問題の本質を特定するものでも、解消に直接役立つものでもない。そのことを自覚することが大切なんだよ。
苦しみから抜け出すために駆け込んだ病院で与えられた診断名にすら危険が潜んでいるのね。私たちってどうすればいいんだろう。
ネットの変な情報に振り回されないことさ。病院で付けられる診断名ならまだしも、巷にはおかしな診断名や心理学キーワードが溢れているからね。そんなものからは距離を取るのが一番さ。ボクたち猫はそんなくだらない話しは少しもしないにゃー。
『アダルトチルドレン』という「呪い」
- Qアダルトチルドレンをどう克服すればいいでしょうか?
- A
「アダルトチルドレンなんてものは嘘だということに気づく」ことから始めましょう。
私はきっとアダルトチルドレンなの、だからいつになっても幸せになれない。
君たち人間はそういった「まやかし」が大好きだからいつまでも迷いから抜け出せないんだな。
アダルトチルドレンがまやかしだっていうの?
そうだよ。それは「アダルトチルドレン商法」とでも言おうか、そういった嘘っぱちをつくことでお仕事が増える人たちがいるから、ネットの上にいくらでも情報があるのさ。ネットにある情報のほとんどが誰かの金銭的利益、つまり商売に繋がってることを忘れちゃいけないよ。
確かにそれを商売にしている人がいることも事実だろうけど、心理学でもアダルトチルドレンってちゃんと研究されてて理論もしっかりできてるのよね?
だからのその心理学ってもの自体が嘘っぱちで成り立ってるってことなのさ。とりわけ「精神分析学」を中心とした心理学についてのことをここではさしているんだけどね。ちなみに現代の心理学の中心は「実験心理学」って言ってほとんど統計学のような学問になっている。こっちの方が全然まともな学問さ。
私たちの心理学のイメージっていうと、心理テストとか心の傷、トラウマなんていう見えないものを扱う学問のイメージが強いけどそうじゃないのね。
話をアダルトチルドレンに戻すと、その考えは心理学で言えばフロイト、もっと根をさかのぼれば哲学でいうところのプラトンって人が提唱した「大きな誤解」の上に成り立っているんだ。アンナはイデアって言葉を聞いたことがあるかな?
うーん、フロイトって人の名前は聞いたことあるわ。プラトンもなんとなく。けどイデアってのは知らないわ。
話を複雑にしたくないからイデアの説明は省いておこうか。何が問題かってことを端的にいうとアダルトチルドレンって考え方は、「アダルトで無いチルドレンっていうありもしない理想」を前提としてしまっているんだよ。
アダルトで無いチルドレン??
もうなんのことだか全くわかんないわ。
君たちアダルトチルドレンってのは、親から虐待を受けたり、ネグレクトされたりして「正常とは違った育ち方をした」子どもだったと説明されているよね。
そうよ。だからこそ今、大人になってからもそれを引きずって幸せになれないの。
じゃあ聞くけど、君たち人間にとっての「正常な育ち方」ってどんな育ち方さ?
えっと、そうね、少なくとも私たちみたいに酷い目に遭わずに、愛情を持って育てられるってことだと思うわ。
そういう「理想的な育ち方」をした人物って一体どこにいるんだろう?もっといえば正常と異常を選別する客観的な指標なんてものが「あり得るのか」ってことさ。愛情の有無なんてものは客観的事実ではなくていわば「感じ方」の問題でもある。それにその感じ方だって事実認識とは別に、それを回想する時期やタイミングによってもまるで異なってしまう。
確かに、過去の記憶なんか自分の都合のいいように引っ張り出したり書き換えたりしてしまうものだもんね。今の境遇や、話の文脈によって過去なんかいかようにも解釈ができる。
そして、アダルトチルドレン理論の一番の罪は、ありもしない理想的なノンアダルトチルドレンを想定した上で、それとは一致しない人をアダルトチルドレンと名付けて「呪詛」することにあるんだ
呪詛?それって呪うってこと?
そうさ。アダルトチルドレンっていう診断は「呪い」でしかない。なぜならそれを宣言された人に対し「解決不可能な問題」を背負わせてしまうからね。
なんだか怖くなってきたわ。。。
アダルトチルドレンに対する治療法ってのは主にこんな感じさ。過去のトラウマを回想して原因を特定する。そして、その問題に向き合い折り合いをつける。
そうね。私もカウンセラーさんに進められてそんな感じのワークに取り組んだことがあるわ。けどなんだか途中から苦しくなっちゃって、もう通うのをやめちゃったの。
そりゃそうさ。古傷をわざわざ切開するようなことをしてるんだからね。確かに君には未だ癒えない過去の苦しみがあるかもしれない。だけどそれを「振り返る」ことで整理がついたりするだろうか?例えるなら恋人に振られて落ち込んじゃっている人に対して、恋人との思い出をドラマチックな出会いの場面から一つずつさかのぼっていって、その思いに整理をつけましょうなんて言っているのと同じようなものなんだ。
そうね。忘れたいって言ってるのに、思い出すって矛盾してる気がするわ。
それにこの考えの致命的な欠点を言うなら、「過去はどう足掻いたって変えられない」、って言う至極当たり前の一言に尽きる。問題を変えられない過去に求めた時点で、それは解消不可能な問題になってしまうんだよ。
だから、アダルトチルドレンって診断されることって「呪い」をかけられることなのね。カウンセラーの人からしても問題が解決しない方が何度もサービスを利用してもらえるものね。
カウンセラーってのがそこまでズル賢いかはわからないけど、こういった真実まで認識できた上で、アダルトチルドレンの治療なんてことをしている「賢い」人間はほとんどいないだろうね。確信犯でやっているなら人間にしては大したもんさ。
じゃあカウンセラーさんも悪気があってやってるわけじゃないってことね。だけど善かれと思って施されたサービスでもそれが「呪い」なら、申し訳ないけど、やっぱり迷惑でしかないわ。
心理学なんてものをまじめに、いや、中途半端に学んでしまった人間ほど、そう言った間違いには気づくことができないのさ。その間違いに「反省」を与えるのがボクたちの「反心理学」なんだにゃあ。
「反心理学」ってそういう意味だったのね。けど、じゃあ私たちはどうしたらいいの?
まずは、「私はアダルトチルドレンなんだ」って言う自己認識を捨ててしまうことさ。それがかけられてしまった「呪い」を解くってことさ。
だけど私が経験した過去の心の傷も確かに事実なの。
そのことまでボクは否定するつもりはないさ。ただその古傷はホントはなるべく扱わないようにしなきゃならないものなんだ。過去は忘れて前に進むしか無いんだよ。進めなくなった状況が君たちのいう「鬱」ってやつなんだからね。
アダルトチルドレンだから前に進めないんじゃなくて、「アダルトチルドレンだって思い込むことそのこと」こそが鬱や苦しみを引き起こしていたのね。
そういった過去の傷に捉われないための方法はいくらでもあるにゃ。ただそれは忘れたい過去の恋人との思い出を辿るなんて馬鹿なやり方は絶対にしないんだよ。
私はアダルトチルドレンの苦しみから抜け出すために、まずは自分がアダルトチルドレンなんだって認識から取り払ってしまわなければならないのね。もしずっとこの話をミロクから聞けてなかったと思うとゾッとするわ。。。
生きる意味なんてない!?
- Qどう考えても生きる意味が見つかりません?
- A
生きるために意味は必要ありません。
私、本当にしっかり考えたんだけど、やっぱりどう考えても生きていく意味が見出せないの。
ほう。どう考えてもって、どう考えだんだい?
今、死ぬほど苦しくて、それから抜け出すには死ぬしかない。それにこの先の人生だってきっと別の苦しみが私を待ってるの。確かに生きていれば楽しいことだってある。だけど私の人生は楽しいことよりも苦しいことの方が多い気がするの。いや、もし楽しい方が多かったとしても、この苦しみに耐えて生きていくくらいなら、死んでしまった方がましだわ。
そうかい。君の言ってることはきっと正しいだろうね。君たち人間の人生なんて苦しいことばかりさ。それは歳を重ねていくほど良くわかることさ。それに例え幸福の総量の方が苦しみのそれを上まることになるとしても、そのことが今の苦しみから逃れようとすることを否定する決定的な材料には必ずしもならないからね。
ミロクって、「生きていれば良いことがある」とか、「苦しくてもみんな頑張ってるんだから生きなきゃダメだ」とか言わないのね。
そんなの全部嘘っぱちだろ?ボクは猫だからそんなくだらない嘘はつかないにゃ〜
じゃあミロクは私が、「生きる意味がないから自殺を選ぶ」ってことを認めてくれるのね。
いいや、ボクは生きることの無意味さは認めてやってもいいけど、だから自殺を選ぶってことまでは認めちゃいないさ。
どうして?みんな生きることには何らかの意味があるから自殺しちゃいけないっていうわ。それに私だって、この先の人生に意味を見出せたら自殺なんかしなくて済むの。
そもそもね、生きることに意味が必要とか、意味のある人生を送るべきっていう一部の人間が勝手に作った変な前提、信仰が間違ってるのさ。
信仰?どうして?意味があるから生きていけるって当たり前のことよ。
そうやって自分が知らずのうちに信じ込んじゃってることを、当たり前だって思ってしまうことが「信仰」ってことの意味なんだよ。じゃあ聞くけど君は幼い頃、生きる意味なんて考えて生きていたかい?
幼い頃って、、、そうだ、小学生の頃なんかは、将来お嫁さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいって思って、人生の意味について考え始めてたわ。
ホントかい?確かに小学生ごろになると、夢を持つことを強いられたり、目標に向かって生きることが正しいなんて嘘を教えられはじめちゃうんだけど、本当にそんなことを思いながら毎日を過ごしていたかい?
えっと、その頃は、ただ毎日お友だちと遊んだりするのが楽しくて、将来のことなんかは授業で聞かれた時しか考えてなかったわ。
そうだろうね。それにもっと幼いときは自分が大人になるなんてこと、将来のことなんて少しも考えなかったはずさ。意味なんてことは全く考えずに生きていたはずだよ。
確かにそうだけど、けど中高生になって将来のことを考え出して、そのことが生きていくことの励みになったことも確かにあったわ。
確かに生きていく中で、そこに意味を見出すことは毎日を楽しむための「スパイス」にはなりうるさ。だけどそれは、「生きることそのもの」でも、「不可欠なもの」でもないのは明らかだよね。本来君たち人間も幼い頃はそんなスパイスなんか全く使わずに、生きることそのものを全身で味わえていたんだからね。
確かに私は幼い頃の方が、調理された「食材そのもの」の味を楽しむようにスパイスなんかなくても十分に生きるってことを味わい尽くせていたわ。どうしてこうなっちゃったんだろう?
そんなの簡単なことさ。君たち人間は生きるっていう「食材そのもの」の味を、意味なんていうくだらない大量の「スパイス」で隠してしまったからさ。味覚障害になってしまってるんだよ。どのスパイス使っても味がしない。だからこの料理を食べる「意味がない」、なんて言い出してしまっちゃうんだ。
何だか、そう言われるとそんな気がしてきたわ。生きることに意味を必要としてるのって人間くらいのものだものね。他の動物、植物や微生物だって、意味なんか必要とせず、ただただ生きてるわ。
「信仰」って言った意味がわかっただろう?人間が生きていくためにはね、そもそも意味なんて必要ないんだ。そんなものを求めるよりも「生きてるってことそのもの」をもっと味わい尽くす必要があるんだよ。意味なんか考える前にね、人間はもっとそのことをきちんと学ぶ、いや、「思い出さ」なくちゃならないのさ。
ミロクが言ってることはよくわかったんだけど、それでもやっぱり私は生きていくための意味が必要なの。。。
「死にたさ」の解消するための『内容と形式』という補助線
- Qどうしても解決できない問題に直面しています。だから私の「死にたさ」は決してなくなることはないと思います。
- A
例え問題がなくならなくても「死にたさ」はすぐにでも無くすことができます。
今の僕にはどうしても解決できない問題があるんだ。だからきっとこの「死にたさ」はどうやったって消えてくれはしないんだ。
そうかい。なら君のその問題ってやつが、魔法かなんかで完全になくなるとしよう。そうすれば君は苦しみから解放されて、「死にたさ」ともおさらばってわけかい?
そうだよ。この問題さえなくなればね。
それはきっと勘違いってやつさ。例えその問題がなくなったとしてもね、どうせ君はまたどこかしらかから問題をこしらえてきて、そのせいで「死にたい」って言い出すに違いないさ。
僕がわざわざ「死にたく」なるための理由を持ってくるだって?そんなわけない!
例えば、木製の器に水が入っているとするね。この水が何らかの理由で腐ってしまったとしよう。するとどんなことがおこるかわかるかい?
水が、腐っちゃったんだよね。うーん、一度腐った水はもとには戻らないだろうし、そうだ、木製の器なら、そのうち器の方まで腐敗を始めてしまうと思うな。
そうだね。腐った水の分子が木の繊維に吸収され、いずれ器まで腐らせてしまうだろう。
じゃあ、次はこの腐った器に入った腐った水を、綺麗にするためにはどうしたらいいと思うかい?
それは難しい質問だなあ。水を丸々入れ替えるってのはナシだよね?うーん、どうしようもない気がするよ。
じゃあ設定を少しだけいじるとしようか。水は毎日数滴ずつ新しいものが入ってくるとしよう。ちょうど器を蛇口の下に置いて、ポタポタと水がこぼれ落ちてくるような状態だね。
それなら、時間はかかるけど、腐った水と新鮮な水が入れ替わってきて、いつかはきれいな水でみたされるんじゃないかな?
本当にそうかい?
あ、そっか。木の器が腐ってしまってる状態だと、少しずつ入ってきた水も腐っていってしまうから、まずは木の器の腐敗をなんとかする必要があるね。木の器が腐ってなければ、水は時間さえかければあとは自然と浄化されていく。
その通り。この設定では、水は少しずつであれ更新されていくから、腐敗の原因は木の器のほうにある。だからまずは入れ物の方をなんとかしなくちゃならないね。
だけど、この話と僕の「死にたさ」に何の関係があるんだい?
「内容と形式」の問題さ
内容と形式?
さっきの例え話しにおいて、「木の器」は「形式」、「中身の水」は「内容」にあたる。同じように君の「死にたさ」は「形式」、「具体的な問題」は「内容」ってことなんだ。
うーん、ちょっとよくわかんないや。もう少し詳しくおしえてくれるかい?
OK。腐った水と、そのせいで腐った器。水をきれいにするにはまずは器の腐敗を取り除くことが必要だったね。そうすれば水は自然と浄化されていく。逆にいくら水を入れ替えても、器のほうが腐ったままじゃ、いつまでたっても水の腐敗は更新されない。
そっか、なら、腐った水=ぼくが直面している問題、をいくらなんとかしようとしても、腐った器=「死にたい」状態のままだと、どうしようもない。例え、現実には問題が少しづつ解消されてきたとしても、器の腐敗のせいで、それが感じられないか、よくなった状況をまた悪化させてしまう。
そうそう。だから困難な出来事に直面して「死にたく」なってしまっている君がまずやるべきことは、、、、
「目先の問題」=「内容」をどうこうしようとすることじゃあなくて、「形式」=「死にたさ」の方をなんとかすることの方ってことか。
、、、けど、僕は問題を抱えたせいで、「死にたく」なってしまったんだよ?
確かに、「起因」となったのは何らかの問題そのものだろうね。水の腐敗が、木の器を腐らせてしまったのと同じようにね。けど、それは死にたさの「原因」ではないんだ。あくまで「死にたい」って思いは「木の腐敗そのもの」から生じるものなんだ。だからこそ、気を腐らせるための内容はなんだっていいんだ。
確かに、きっかけにはなってるけど、「死にたさ」が生まれてからはそれが「一人歩き」をはじめてしまって、逆に今度はそのことが、いろんな問題を悪化させたり、新しく問題を生み出してしまってる。実は、抱えている問題とは直接関係なく、腐ってしまった器が「死にたさ」を生み出して、さらに現実の問題を解消しにくくしてしまっているんだね。
そう。だから君がまずやるべきことは、木の腐敗=「形式」の方に取り組んで「死にたさ」を解消することなんだ。そうすれば、「内容」=具体的な問題の方は自ずと解消可能な状態に変化していく。
僕はこの問題が解決すれば、「死にたさ」もなくなって全てがうまくいくって思っていたけど実はそれは勘違いで順番が逆だったんだね。
まずは「死にたさ」を解消する。そうすれば今は解消不可能に思えている問題や悩みにも解決の糸口が見え始めるのかもしれない。
それにね、水が少しづつ更新されていく設定を付け加えたようにね、現実の問題や悩みだって、放っておくだけでも少しづつ状況がよくなっていくようにできてるんだよ。それを「時間が解決してくれる」って君たち人間は言うね。だけど器のほうが腐ったままだと、その更新作用まで阻害してしまうから、問題が永遠に解決しないように感じられて、さらに「死にたさ」を煽るという悪循環に陥ってしまうんだよ。
そう言われると思い当たるところがあるよ。実際、元気な頃の僕だったら、この問題にだって前向きにとりくめていたかもしれない。問題そのものより、それに向き合う姿勢や捉え方(=形式)ってものの方に大きな不具合が生じているんだね。
それが、「内容と形式」ってことの意味さ。「内容」を直接扱おうとすると泥沼に陥る。だから「形式」の方をなんとかすることが重要なんだ。
内容っていうのは、アタマで考えている問題とか悩みっていうことで間違いないよね?じゃあ「死にたさ」を生み出す直接の原因=形式っていうのはなんのことなの?
君たち人間のアタマ=意識・感情・考え、を入れている器。それはカラダに他ならないね。「死にたさ」ってのはね実はアタマじゃなくてカラダがある悪条件を満たすことで(=腐敗)生じてしまう現象のひとつにすぎないんだよ。だから、頭で考えて解消しようとすると抜け出せなくなってしまうのさ。
そんな話し今まで聞いたことがなかったよ。ネットを調べたら「自己肯定感」とか「自己需要」とか、「アタマの話」ばっかりがでてくるんだ。
だからこの国は自殺志願者で溢れかえってしまってるってわけさ。本当に大切なことはね、ネットを検索しても見つからない仕組みになってしまってるんだにゃー。ま、ここもネット上ではあるんだけどね。基本的に「誰にも見つからない」特別な場所なんだな。
拷問に「終わり」があるなら自殺は必要なくなる?
- Qどうして自殺を止めようとするんですか?早く楽にして下さい。
- A
拷問がそう長くは続かないことがわかれば、自殺する必要はなくなってしまうからです。
僕は早く死んで楽になりたいんだ。どうして君はその邪魔をするんだい?
確かに死んで仕舞えばその苦しみから抜け出すことができるだろうね。実際のところは、「抜け出す」というよりは苦しいとか苦しくないとか、そういった枠組みそのものがなくなってしまうだけのことなんだろうけどね。
そんなことはどうだっていいんだ。僕はこの苦しみさえ回避できたらそれでいい。それが悪いことであっても、だれかに迷惑をかけることになっても、申し訳ないけど、それどころの問題じゃあないんだ。
例えば、君が拷問を受けていて、意識を失ってしまうギリギリのラインの苦痛に晒され続けているとしよう。
そうだね、僕にとってはほとんどそれと同じ状態が長いこと続いているんだよ。さあ、早く楽にしておくれよ。
その拷問が、君が苦痛のなか息絶えるまで、つまり君が「死ぬまでずっと続く」のならボクは今すぐにでも、その死神にかわって君の息の根を止めて楽にしてあげるさ。
それで、いいんだ、僕はもう。
けど、死神に拷問を辞めさせて、その場を去るように仕向けることができるなら。そして、傷だらけになった君にすぐさま治療を施す術があるとしたら、、、ボクは迷うことなくその道を選択するね。
そんな。
なあに、心配することはないさ。死神の正体なんかわかってらあ。奴はボクら猫と兄弟のようなものさ。正直に言うと奴らを抹殺することはボクにはできない。そんなことしたらボクまできえちゃうからね。けど追っ払ったり、拷問ごっこを遊びにかえてしまうことなら、ボクたち猫の手にかかればわけなくできるんだな。
本当に、この苦しみを終わらせることができるなら。死神の拷問から逃れる術があるなら、、、