【全ての現代人が知っておきたい自殺に対する基礎知識-その②-自殺リスクの再定義編】
マスメディアの報道やネット記事を見ると、自殺をしてしまう人の「心の闇」や、芸能人の後追い自殺としての「自殺の連鎖」が頻繁に取り上げられる傾向にあります。
これら「心の闇」や「自殺の連鎖」とは一体どんなもので、それは本当に自殺を引き起こすリスク要因となり得るものなのでしょうか?
今回は自殺を引き起こすリスク要因について反心理学を進めていきたいと思います。
情報番組やネット記事でよく目にする自殺完遂者の「心の闇」って一体なんのことなんだろう?特定の「心の闇」や他人の自殺の後追いの「自殺の連鎖」なんかによって人は本当に自殺してしまうんだろうか?
ある性格的特徴を持っているだけで自殺してしまったり、どれほど尊敬や好意を寄せている相手であろうと、他人の自殺に誘引されて自殺してしまうようなことが本当にあり得るなら、君たち人間なんて種族はもうとっくに滅びているんじゃないかな?
「心の闇」や「自殺の連鎖」が嘘だとしたら、自殺を引き起こす本当の要因ってなんなんだろう?それこそが注意すべき自殺リスクなんじゃないかな?
人間はどんな荒唐無稽な話でも、聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
自殺完遂者の「心の闇」や「自殺の連鎖」は事後的に捏造される
近年、著名な芸能人の自殺報道や、コロナ禍における年間自殺者数の11年ぶりの増加への反転(令和2年中における自殺の状況 – 厚生労働省)により、自殺のリスク管理に注目が集まってきています。自殺は現代人にとって他人事ではなくなってきているようです。
世間では自殺に潜む「心の闇」や芸能人の自殺報道に伴う「自殺の連鎖」における自殺リスクが注目されていますが、それらは本当に私たちにとって自殺を招くリスクであり得るのでしょうか?
自殺完遂者の「心の闇」を占う
このあいだ、ボクも大好きだった有名な俳優さんが自殺してしまったんだ。そのことに関して、専門家や、それを名乗るいろんな人が、その人の「心の闇」について様々なメディアで語っていたよ。
自殺により命を落とす事は不幸な事だけど、その後に見も知らぬ他人からあれこれと自殺の理由を詮索されることもまた当人にとっても気の毒でならないことだね。
誰かの自殺に際して、その原因が専門家などによって語られる光景をよく目にするようになってきました。その分析では自殺完遂者は
- 悩みを抱え込みやすい人だった
- 心に弱さを持った人だった
- 真面目で息抜きをするのが苦手なところがあった
といったもっともらしい性格特性が語られ、一方で
- 自殺する直前まで普段通りの明るい印象だった
- 自殺とは無縁のような人だった
- なぜあの人が自殺をしてしまったのか、、、
といった、自殺とは結びつきにくい一面が同時に驚きとともに挙げられます。
そしてその両者の矛盾は「心の闇」という便利な言葉による締めくくりをもっててブラックボックスに投げ込まれてしまいます。
この「心の闇」ってなんなんだろう?「よくわからないもの」の代名詞のような使われ方をしてしまっていて、これをもって自殺の要因とするには無理がある気がしてならないよ。
専門家とかいう人たちの分析なんて占い師の性格診断と変わらないね。人はある事柄について必ず陰と陽の両面を持ち合わせているものだ。「社交的であるけれど、内向的な一面もある」といった物言いは、解釈の仕方によっては「必ず誰にでもあてはまる当たり障りのない内容」で、この診断によって「性格を言い当てられた」と誤解させるのは占い師の使う常套手段さ。
占い師の性格診断と同じようなことが、自殺完遂者の自殺要因の分析として専門家たちからされているってことだよね。
そうさ、娯楽としての占いならまだしも、人の生死に関わる問題が、この占いレベルの解釈のされ方をしている事は少し異常だとさえ言える。
自殺の連鎖・ウェルテル効果は本当か?
そうそう、それにその人気俳優を追って一部のファンの人たちが後追い自殺をしてしまっているようなんだ。「ウェルテル効果」というらしく、昔からこういった「自殺の連鎖」は自殺のリスク要因の一つとして懸念され続けてきているみたいだよ。
ウェルテルってのがどんなカリスマだったかは知らないが、例えどれほど慕っていたり親密な間柄の相手といえど、その人物の自殺を理由に後を追って同じように自殺してしまう人間が複数いるなんてことも、ボクら猫からすると嘘みたいな話に聞こえてならないね。
親しい人を失ったことで死にたい想いに駆られてしまう気持ちは人間としてよくわかるけど、それとその気持ちを実際の行動に移してしまうことの間には大きな隔たりがあるんじゃないかな。だから他人の自殺が誰かの自殺の直接的な要因になるとはやっぱり考えにくい気がするよ。
要素と全体「卵だけでは卵豆腐は出来上がらない」
君は卵豆腐をボクによく食べさせてくれるけど、卵豆腐の作り方を知っているかい?
卵豆腐は君の好物だからよくスーパーで買ってきているけど、作り方まではわからないなあ。ただ卵豆腐っていうくらいだから卵を使っているって事は確かだよね。
じゃあ、卵があれば君は卵豆腐をボクのために拵えてくれるかい?
いいや、卵豆腐はやっぱりスーパーで買ってきて今晩食べさせてあげるよ。卵だけじゃ卵豆腐は作れっこないからね。どうしたんだい、急にそんな話しをしだちゃって?
これは、要素と全体の話だよ。
ミロクの大好物である卵豆腐は卵だけでは作ることができません。
卵豆腐という全体を構成するものは卵という要素だけでなく、他にも大豆やニガリなどいくつもの要素が存在しています。
それと同じように、自殺という現象の全体を構成するには、「個々人の性格の特徴(心の闇)」や「慕っていた人物の自殺」といった要素だけでは不十分です。
この事より、個人の「性格」や、親密な間柄の他者の自殺などの「苦難」をもってある人物の「自殺の要因」とすることは明らかに間違いであることがわかります。
卵を使った料理の全てが卵豆腐になってしまうことがないのと同じように
特定の「性格」や「苦難」だけが自殺を招く事はありえないのです。
うーん。卵豆腐の例を使って説明されるとすごく当たり前のことだけど、どうしてこうも「心の闇」や「自殺の連鎖」っていう誤解がことがまことしやかに世間に流布してしまうんだろう?
それはやっぱりそういった情報を発進する側も、それを消費する側もそういう「嘘」の捏造を求めているからに違いないだろうね。自殺といった人間の狂気の一部は資本主義社会の上では得てしてエンタメとして消費されてしまう性質があるのさ。
cf.「自殺」は「エンタメ」として消費されてしまう(①-2-2)
【自殺兆候】:自殺の本当の要因
「心の闇」や「自殺の連鎖」って話しは自殺が起こったのちに、誰かの手によって事後的に捏造されてしまう嘘でしかないのか。。。
じゃあ、本当の自殺の要因ってなんなんだろう?
内容と方法:「トウモロコシだけではポップコーンは出来上がらない」
自殺の本当の要因を解明するために、先の「要素と全体」に加え「内容と方法」という補助線を持ち込んでみる事にします。
じゃあ次はポップコーンの作り方だ。
ポップコーンなら簡単さ。ポップコーンは味付けを気にしないなら乾燥したトウモロコシさへあれば作ることができるよ。
本当かい?確かにトウモロコシはポップコーンの材料の全体だ。だがそれだけではポップコーンにはならない。ポップコーンが弾けるにはトウモロコシになんらかの操作を加える必要があるね。
うん、トウモロコシをフライパンで炒る必要があるよ。そうか、今度は構成要素の「部分と全体」という話からされに軸を変えて自殺って現象を捉えようとしているんだね。
そうさ。構成要素という「内容」に対しての「方法」という対概念を持ち込むんだ。「内容」に対して「方法」は見落とされがちだ。ポップコーンが弾けるには熱を加えるという操作が必須であるように、自殺にも、性格特性や苦難といった要素の集まりの全体-「内容」に対してなんらかの働き-「方法」が関連しているはずだ。その方法をへて「死にたい」という想いは「自殺の遂行」へと弾ける。
その「方法」、つまり「死にたい」という思いを自殺の遂行にまで押し上げる「なんらかの働き」こそが真の自殺の要因なんだって事だね。
自殺兆候こそが自殺を引き起こす
ここで一旦これまでのお話しを整理してみましょう。
世間でまことしやか言挙げされる自殺完遂者の「心の闇」や芸能人の自殺報道に伴う「自殺の連鎖」に見られる個々の「苦難」はそれ自体では自殺という全体を引き起こす要因にはなり得ないことがわかりました。
それら個々の「性格的特徴」や直面している「苦難」は「死にたくなる」ほど辛い衝動を生じさせるかもしれませんが、「自殺の遂行」という『弾け』を引き起こすには役不足でした。
そして、この『弾け』を起こさせる「なんらかの働き」こそが、自殺を引き起こす要因の正体なのです
これから君とボクで自殺という難問を解明していくために、ここで新たな熟語を導入させてもらおう。それは【自殺兆候】という概念だ。
【自殺兆候】:自殺の全体を作るのに不可欠な「なんらかの働き(方法)」
それが何かはまだわからないが、とりあえずはここでその「なんらかの働き」のことを【自殺兆候】と置くわけだね。そしてそれは「心の闇」や「苦難」といった内容とは違って、表面上捉えることが難しいが、確実に存在している。
そのとおりだ。
誰もが人生において様々な苦難に直面し、そんな時に「死にたくなる」ような性格的脆弱性を持つ人も少なからず存在しています。にも関わらず、実際に自殺の完遂に至ってしまう人物はその中のほんの一部の人だけです。
その理由はそういった個々要素をどれだけ寄せ集めても自殺という全体には到達し得ないからです。ポップコーンが弾けるには熱を加えるという操作が必要不可欠なのと同じように、「死にたくなる」ほどの出来事が「自殺の遂行」に変化する時、そこには「なんらかの働き」が存在しているのです。
この働きこそが自殺の要因であり、ここで私たちは【自殺兆候】という熟語を導入することで、それを概念化する事に成功しました。
cf.自殺を招く3つの錯覚【自殺兆候】(⑤-2)
自殺兆候は常識を覆す
自殺兆候はまだその正体が何かは掴めていない。だがここでその主要な性質の一つを明らかにしておきたい。
- 「なぜあの人が、、」
- 「そんなことを理由にして、、、」
死にたくなるほどの苦難は理解できるにしても、やはり自らの命を断ち、人生そのものを抹消してしまう自殺は人々の常識を逸した行為であり、それゆえ理解を拒みます。
自殺を遂行するには人間にとっていくつものストッパーや高いハードルがあります。
cf.死に支えられたヒトの生(④-2-3)
にも関わらずそれらを超えて自殺は遂行されてしまうのです。
「死にたい」という思いと「自殺の遂行」の間には大きな隔たりがあります。
その跳躍を為させる作用こそが自殺兆候の主要な特性です
【自殺兆候】:「死にたい」思いと「自殺の遂行」の間にある隔たりを跳躍させる性質を持つ
人々の常識を覆してしまう自殺という行為の跳躍性。それをもたらすことこそが【自殺兆候】の主な働きだということだね。
【新型自殺】:現代において自殺は【誰にでも】訪れる
自殺リスク=自殺兆候発症リスク
これまで「自殺リスク」とは、人生で直面する様々な「苦難そのもの」や、それらにいかに対応、反応しうるかという「性格特性」のことだと思われてきたきらいがある。
確かに。自殺の要因が、「心の闇」や個々の「苦難」だと誤解されていたんだから当然の話だね。
だが実際のところ、人生における苦難との直面を避ける事は不可能だし、性格なんてものは固定的ではなく流動的なものだから簡単にコントロールできっこない。だから事実上、現状考えられている自殺のリスク管理は骨抜きだと言わざるを得ない。
だけどボクたちは本当の自殺の要因にたどり着いた。個人の性格や「苦難」なんかじゃない【自殺兆候】を扱うことが、何よりもの自殺リスク管理になるってことだね。
新型化した自殺:理由なき希死「とにかく」死にたい・消えたい
ここで自殺兆候こそが、自殺の要因であることの証左として一つの話を付け加えておこう。それは「自殺の新型化」のことだ
これまで一般的に、自殺を引き起こす要因となるものとして人生における様々な困難、苦しみ、ストレスなどが考えられてきました。こうした人間が抱える苦しみは以下の4つに分類することができます。
これまで自殺完遂者の多くを占めていたのが、経済活動の主な担い手である中年男性であり、この国経済水準の向上とともに、その自殺者数が減少傾向にあることから、自殺の要因の一つとして経済的困窮が考えられてきました。
しかし、この定説を覆すかのような事象として、昨今の若年層や女性の自殺完遂者数の増加傾向が現れてきました。
経済的に豊かになり、人生における困難に直面しやすい年齢とは考えにくい世代において自殺完遂者数が増加してきているのです。
つまり、近年になってこの国の自殺は「新型化」を始めたんだ。
自殺の「新型化」?
この若年層や若い女性の自殺志願者に見られる共通点は「死にたい」思いに理由がないということです
- 「とにかく死にたい」
- 「消えてしまいたい」
- 「今すぐなくなってしまいたい」
このような思いが、なんの前触れもなく、突如と現れ、その全てとなってしまう。これが新型化した自殺における希死感の特徴です。
そもそも「死にたい」思いの理由とされるものは、他人からすればどれもが「死んでしまうにはとるに足りない」ものばかりだ。だが、こと新型においては理由そのものが自殺志願者当人自身でも見つからない。
理由が見つからない希死。見えないところから繰り出される攻撃のように、それほど恐ろしいものはない気がするよ。
そして、この理由なき希死をもたらす新型自殺の出現こそ、これまでボクたちで組み上げてきた【自殺兆候】の存在という仮説を後押ししているね。
そうか、理由のない「死にたさ」。それは自殺には特定の苦難といった「内容」は関係がない。それゆえ、「内容」とは別の何か、【自殺兆候】という「方法」こそが自殺において重要な要因なんだってことだね。
cf.自殺が抱える3つの倒錯(⑤-1-3)
自殺温床と化した現代社会
冒頭に挙げた自殺完遂者の増加への転化が一般に語られているように一連のコロナ禍と関わりがある事は疑いようのないことでしょう。
ただそれは、コロナ禍により経済活動が停滞し、失業者、経済的困窮者が増えた事による、といった単純な解釈にとどまることはないはずです。それは自殺完遂者増加の性別、年齢層の変化が如実に表しています。
この自殺完遂者の動向の変化-新型化は、自殺の「質的変化」というよりはむしろ「量的変化」を表しているだろうね。つまり現代は自殺の温床環境として先鋭化してしまった。それによって自殺が最も原始的な姿でボク達の目の前に現れ始めたということに違いない。
現代社会の弊害をもろに受けてしまいやすい年齢層が若年者ということも、現代社会が自殺の温床として機能し彼らを攻撃し出していることを暗示しているようにも思えてきたよ。コロナ禍は社会の現代化を急激に加速させてしまっているとも考えられる。
コロナ禍の煽りを受け、現代社会その姿を先鋭化させ急激に自殺の温床となり始めました。そこにおいて自殺という病を発症してしまうのは、なんらかの性格特徴を持っていたり、苦難に直面していたりするといった、特定の表面的な条件を満たしたごく一部の人物、というわけではなくなってきています。
新型化した自殺は、理由なき希死に見られるような、自殺のより原始的な姿で現れ、ほとんど無差別に全ての現代人を襲うことでしょう。
cf.4つの環境要因(⑥-2)・希死を煽る現代情報社会(⑨-2)
自殺の原始的な姿とは、【自殺兆候】のことであるはずです。
私たちは新型化を始めた自殺という難問を解明すべく、この【自殺兆候】を手がかりり探究を進めていくことにしましょう。
今回の反心理学のまとめ
自殺を引き起こす要因は、「心の闇」や人生で直面する「苦難」そのものではなく、それらから芽生えた「死にたさ」を「自殺の遂行に飛躍させるなんらかの働き」の方。
それをここでは【自殺兆候】と定義する。
理由なき希死が示すように、現代は自殺の温床と化し、自殺の新型化を進めている。
新型化した自殺は、無差別に、誰にでも起こる危険性を持つ。
そんな現代で自殺リスクを管理するということは、【自殺兆候】の正体を掴み、それを扱うということ。