【全ての現代人が知っておきたい自殺に対する基礎知識-その③-自殺志願者への対応編】
身の回りの人が不意に「死にたい」と口にしたら、あなたはどうしますか?
あなたは大切な彼・彼女のために何をしてあげることができるでしょうか?
今回は自殺志願者の相談相手になってしまった・相談相手になってあげなければならない
といった状況での対応方法について反心理学を進めていきたいと思います。
自殺志願者は後を立たない。
「周りの人が気づいてあげて相談に乗ってあげましょう」
なんてことがまことしやかに言われてるけど、そんなことで自殺志願者が減ったり自殺を思いとどまったりするとは思えないんだけどな。
自殺なんていう人間にとって重大な問題を「相談」なんかで解決しようだなんて
人間が拵えた心理学なんてものはえらい横着な方法なんだね。
ボクの見立てじゃあ、この相談ってもののせいで死ななくてもいいはずの多くの自殺志願者たちが命を落としてしまっているというのにね。
相談に乗ってあげることが自殺志願者を思いとどまらせるどころか
命を奪ってしまう?
そんなことって。。。
でしたら言いますが、殺したのはあなたですよ
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
自殺志願者の【相談相手になってあげてはならない】
身の回りには自殺志願者が溢れている?
この国における令和2年度の自殺者数は年間21,081人(対前年比約4.5%増)とされており(出典:警視庁Webサイト)、同年交通事故による死亡者数2,839人(出典:同上)と比較してもわかるように自殺は私たちにとって思いのほか身近な問題であると言うことが出来そうです。
毎年交通事故の10倍近くの人間が自殺によって命を落としている。
未だに死因No. 1がダントツで交通事故であるボクら猫からしたら信じられない現象だね
そんなに多くの人が自殺により命を落としているんだね。
それなら自殺予備軍というか、自殺するには至っていないまでも、それを考えている人、潜在的なリスク保持者は相当な数になっていることが考えれるね。
君たち人間社会では「石を投げれば自殺志願者にあたる」って状況がもう目の前まで来ているのかもしれないね。
ではそんな重大な病へ対策としてはどんなものがあるのでしょうか。またそれはこの問題を解決すべく適切に機能しているのでしょうか。
「とにかく」相談に乗ってあげましょう。の危うさ
「自殺 対策」でググったら、上位に表示されたサイトに次の情報が記載されていたよ。これが厚生労働省の、つまりこの国を挙げての自殺対策についての公式見解のようだね。
自殺対策では、、(中略) 1人でも多くの方に、ゲートキーパーとしての意識を持っていただき、専門性の有無にかかわらず、それぞれの立場でできることから進んで行動を起こしていくことが自殺対策につながります。
「とにかく身近な人・気がついた人がなんでもいいから話しを聞いてあげて、何かしら対応してあげましょう」という対策がこの国の現状最新の自殺対策のようです。
「専門性の有無にかかわらず・できることから」って辺りがいかにも担当者たちの苦悩を感じさせるね。ボクには彼らが「お手上げだ」って言ってるようにすら見えるがね。
本当に、【たまたま気づいた】、【なんの専門性も持ち合わせていない誰か】による【相談】が、自殺という当人にとっても社会にとっても重大な問題を解決するようなことがあり得るのでしょうか?
安易な相談は志願者の傷口を開いてしまう
結論を先に述べると、自殺志願者の相談には安易に乗ってあげてはならない。
専門的な知識やスキルのない素人が善意だけを理由に相談に乗れば場合によっては自殺志願者を自殺完遂に追い込んでしまいかねないからね。
安易な相談が、自殺志願者を救うどころかむしろ自殺完遂に追い込んでしまう。。。
どうしてそんなことが起こるって言えるんだい?
物事には『何もしないよりはなんでもいいからやった方がまし』だってことが確かにある。だけど逆に『余計なことをしてしまうくらいなら何もしない方がまし』だってこともあるって知ってるかい?
問題には、「なんでもいいから手を打った方がいい」性質のものと、「闇雲に策を練ってしまうと返って問題を拗らせてしまう」ものとの二通りがあります。
自殺は人間のナイーブかつ複雑な心的現象に関わる問題である故、
下手な対策を打つと返って状況を悪化させるタイプの問題に分類されます。
それ故、安易な相談によって、自殺を止めるつもりが、返って自殺の遂行を後押ししてしまうといったことが場合によっては起こり得るのです。
こうやって説明されると、これって至極自明なことだね。
生きるか死ぬかの瀬戸際の人を救おうとするってことは逆に
その人を死なせてしまうリスクを負うってことでもあるんだ。。。
そう考えると、「自殺志願者の相談に乗ってあげましょう」ってガイダンスは
かなりヤバくて無責任なものにすら聞こえてくるね。。。
相談者が犯す隠された罪【善意による最後の一押し】
ここからは、相談に乗ってあげることが返って自殺についての問題を拗らせてしまうメカニズムについて見ていきましょう。メカニズムを知ることで自殺志願者の相談相手になった際の対応方法の要が見えてくるはずです。
相談に潜む罠
じゃあ具体的に、どうやって「相談」が自殺志願者を返って自殺の遂行に導くことになるのか教えてくれるかい?
これは相談一般に言えることだけど、悩んでいる人の相談相手になってあげるってことは、(心理学的に見ると)問題の解決の手助けをしてあげたり・勇気づけてあげたり・支えになってあげる役割を果たすとされているよね。
だけど、ボクら猫の洞察からすると、相談に乗ってあげるってことは、対象者に批判の目を向けることを意味しているのさ。
相談者の悩みを解決する=相談者の悩みは解決されるべき問題(否定の対象)となる
というように、相談は、相談者のなんらかの不足を前提としているため、相談者は被相談者により無意識的に否定されてしまうという罠を孕んでいるのです。
なんだか善意をネガティブに捉える、うがった見方のようにも思えるけど、
確かに相談に乗りたがりの先輩や先生っていた気がする 。
そういう人に相談に乗ってもらうと、だんだん自分を否定されている気がしてきて
元気が出るどころか疲れてしまうんだ。。。
エゴい相談者は、自己肯定のために対象者を食い物にしてとにかく否定するものだからね。相談に乗ってもらうというていで「否定され続けた」対象者は逆に自信を失ってしまうことになるだろうね。
これは相談に乗ってもらうこと・乗ってあげること一般について言える洞察でした。
では、これがこと自殺についての相談になるとどういうことが起こるでしょうか?
自殺志願者の相談が無意識にしてしまう3つの人格批判
エゴい相談者がいることは事実だろうけど、みんながみんなそうってわけじゃないし、自殺を考えている人になら、誰だって注意深く対応するだろうから、にわかに否定したりはしないと思うけどな。
自殺という問題には、相談者をエゴくさせてしまう特性があるのさ。
この種の問題の前にしては、どんな謙虚なエゴを持つ善人も
いや善人であればあるほど、対象者を否定したくなるカラクリがあるんだよ。
カラクリ?
自殺志願者を前にして相談者が第一に優先しようとすることは何だと思うかい?
そりゃ、何よりも自殺してしまうことを必死になって止めるだろうね。
あなたが自殺志願者を前にしたときどんな言葉を投げかけるか想像してください。
(もしくは投げかけた言葉を思い出してください。)
これらの言葉には全て自殺志願者への否定が暗に込められているね。
確かに。。。自殺を止めようという思いから出てくる言葉には、自殺を望む自殺志願者を否定する表現がどうしても付き纏ってしまう気がするよ。
自殺志願者に向けられる否定は以下3つが中心となります
cf.自殺が抱える3つの倒錯(⑤-1-3)
だけどどうして自殺志願者に投げかけれられがちな言葉ってこうやって否定が含まれてしまうのかな?
それは君たち人間にとって自殺という問題が未知に溢れているからだろうね。人はとりわけ解決の方法がわからない問題に直面した時、規範に答えを求めたがるものさ。
規範?
そう。倫理や道徳といった疑いようのない、世の中で合意されている答えのことさ。そう言った答えに照らし合わせると自殺という行為は絶対的な悪だ。
だから相談者は問答無用で自殺志願者ごとそれを否定してしまう。
そうか、例え相談者がエゴくない人でも、善人であれば、その善意から自殺という悪を否定せざるを得ない。。。
問題は自殺志願者の人格も一緒に否定されてしまうところにある気がするよ。
君は賢いね。そうだよ。そこが重要なポイントなんだよ。この点は後になってもう一度話をすることになるからここでは先に話を進めることにしよう。
自殺が善悪の議論に引き摺り込まれやすく、道徳的な「正しさ」によって裁かれてしまうメカニズムについては以下を参考にしてください。
cf.【善悪の呪縛】自殺が善悪の議論に引き摺り込まれてしまう3つの理由(①-2)
善意によって失われる命
自殺を思うような大きな困難に苛まれ、何とかすがった目の前の相談相手に人格否定までされてしまったら。。。
確かに自殺志願者は思い倦ねていた自殺を決行してしまうかもしれない。
善意の相談者でさえこのありさまだ。中には善人を装って自殺を教唆する者もいるだろうね。それが無意識的であろうとしても。
ネットの掲示板上での書き込みには明らかに悪意のある自殺志願者への「助言」が散見されます。
とりわけ自殺志願者に対して「自殺を実行できるわけがない」と言った表現は、自殺の煽り効果が大きく、これらの言葉によって失われた命がどれだけあるか計り知れません。
「あなたのような人は自殺はしない・出来ない」
といった表現は、善意の文脈上で安易に使われがちなものではないないでしょうか。
こういったありがちな表現の中にも自殺志願者を自殺決行に踏み切らせる力が内在され得るです。
とりわけ自殺志願者は自殺決行のための「最後の一押し」を渇望している。
意に反してその手助けをし、自殺志願者にとどめを刺してしまう危険がある。だから安易に自殺志願者の相談相手になってあげてはならないんだ。
善意の相談者が犯した罪。
これは立証されることも語られることもないんだろうね。
自殺志願者を延命しうる【無条件の肯定】
ここまで自殺志願者の相談相手になることについてのリスクについて詳しく見て来ました。
では、これらを踏まえた上で自殺志願者の相談相手になった場合、実際にどのように対応すれば良いのでしょうか?
ボクら猫の洞察が君たち人間の役に立つのだとすれば大事なのはここからだ。
うん、大切なのはいかにして自殺志願者を救い出すかだからね。「善意によるとどめ」を刺してしまうリスクを負ってでも、相談相手にできることは何かあるのだろうか?
「死にたい」は「痛み」からの精神的回避策
自殺志願者の相談相手になるにあたってまず重要なことは自殺志願者の「死にたい」という思いについて正しく理解することだ。よくある誤解がこれだ
確かにこういう解釈はされがちだね。でもきっと自殺志願者たちはそんなふうには思っていない。。。
そう、少なくとも本当に自殺を考えている志願者ならこうではなく、次のような思いから「死にたい」と感じ、口にしている。
他人からすれば、辛いことから解放されるために死を選ぶなんてナンセンスで理解しがたいだろうけど、当人にとってはそれだけの苦痛を抱えているってだけの事だよね。
熱したヤカンにてが触れれば反射的に手を引くだろう?生物が身体の痛みを物理的に回避するのと同じように人間が苦しみを精神的に回避しようとするのは何一つ不自然なことじゃあない。「死」は苦痛からの完全かつ絶対な回避策であることは疑いようがない事実だ。
うん、言われれば当たり前のことだけど、どうしてこんな誤解が起きちゃうんだろう?
それはやはり君たち人間が自殺となるとすぐに善悪や道徳といったややこしい話を持ち出したくなるからだろうね
そっか。自殺志願者の相談相手になるにあたってまず大事なことは、そういった余計なものは持ち込まないってことだね。自殺をニュートラルに入れ直すことから始める。
cf.不合理性・精神的回避先として自然なもの(⑤-2-3)
「死にたい」は素朴単純な「苦しみから逃れたい」という感情の現れであることを理解する
→善悪・道徳による批判を無意識にしてしまわずに済む
「自殺の善悪」と「それを考える志願者」への評価を切り離す
次に大切なことは自殺への善悪の判断と自殺志願者の人格とを切り離して考えるということだ。
自殺は社会的に見て悪いことは確かです。しかし先に見た通り、自殺志願者はそんなこととは関係なく、ただ苦しみを感じそれを回避したいと考えているだけです。
「自殺」と「それを思う自殺志願者の人格」を切り離すことで、安易に自殺志願者の人格否定をしてしまうことを避けることができるようになります。
自殺志願者が人格否定されてしまうメカニズムのところで重要だって君が言っていたポイントだね。予め自殺と人格を切り離す意識を持っていれば人格否定は避けられるってことか。
「自殺」とそれを思ってしまう「自殺志願者の人格」を切り離す
→安易に自殺志願者の人格否定をしてしまわずに済む
cf.胃潰瘍になった人を人格的に責めることがないように自殺も人格とは関係がない(①-3)
無条件の肯定が自殺志願者を延命する
自殺を善悪から切り離して、自殺志願者の人格とも分けて考える。自殺をニュートラルに入れたことで自殺志願者を人格否定する過ちは犯さずに済みそうだ。
じゃあリスクは避けた上でどうやって相談に乗ってあげればいいんだい?
そうだね、リスクを避けた上で、君が自殺志願者の相談に乗ってあげられることは特にない。
え?特にないって、自殺志願者の悩みや苦しみを解決してあげなくちゃ相談相手になってあげる意味がないじゃないか?
ここで大切なことは、自殺志願者の抱えている悩み、問題は「相談では解決できない」ということです。
自殺志願者はある理由で解決不可能の問題に苦しめられています。
cf.自殺のメカニズム(⑤)
解決不可能な問題を他人が相談によって無理に解決しようと頑張れば、そこからまた自殺志願者の人格否定が始まってしまいかねない。
説得不可能な相手に愛想を尽かしてしまったり、喧嘩になってしまったりってことは相談でありがちなことでもあるね。
解決不可の問題を抱えているんだからそれに関わって問題を拗らすことはない。他人に相談したくらいで解決する問題ならそもそも自殺志願者は自殺志願者なんかにはなっていない。だから問題を解決しようなんてしちゃあいけないんだよ。
自殺志願者の抱えている問題は原理的に解決できない
→相談によって問題を解決しようとしてはならない
そんな。。。じゃあ相談相手にできることはなにもない。何もするなってことかい?
そうだね。基本的には何もやらないに越したことはない。何をやってもリスクのほうがデカイからね。
だけど自殺志願者のために相談相手がしてあげられることが一つだけある。
ひとつだけ?それは何なんだい?
自殺志願者のことを無条件で肯定してあげるってことさ。それが志願者たちが苦しみから逃れて生存するための手助けとなる。
無条件の肯定?
そうだよ。理由なんていらない。君は君でそれだけでいいって認めてあげることさ。母親が子供に、飼い主がペットの頭を撫でてあげるのと同じようにね。
それって。それってもしかして、すごく難しいことなんじゃないかな?
そうだよ。ある人に対しては呼吸のように当たり前にできて、ある人に対しては何年訓練したってできっこないことでもあるよ。だからね、自殺志願者の相談相手になるってことはとっても難しいことなんだよ。
自殺志願者は直面している問題や、他人からの人格否定、あるいは自殺を思ってしまう自分自身への自己否定によって疲れ切ってしまっています。
そこで向けられた他人からの無条件の肯定。それは自殺志願者たちに居場所を与えることになります。
居場所は自殺志願者に時間を与え、時間が自殺志願者の生存率を高めます。
自殺志願者の相談相手がしてあげられることは無条件の肯定だけ
→無条件の肯定が自殺志願者に居場所を作り、生存のための時間稼ぎになる
最後に自殺志願者の相談相手になる際の対応方法、注意点をまとめておこう。
自殺志願者の対応方法のまとめ
- 安易な善悪論で自殺志願者を人格否定してしまわない
- 「死にたい」は苦痛から解放されたいという素朴な思いだということを理解する
- 自殺とそれを思ってしまう人格への評価を切り離す
- 自殺志願者が特別な心理状態にあり、問題が解決できないことを理解する
- 自殺志願者の生存のための時間稼ぎのために彼 ・彼女の存在を無条件で肯定してあげる
最後の最後で人の命を救いうるのは
倫理や道徳、正義なんかとは別の何かなのかもしれない。
まとめ
今回の反心理学のまとめ
自殺志願者の相談相手に安易になってしまってはならない
自殺への道徳的批判と志願者の人格評価を切り離す冷静な視点を持って初めて、「善意によるとどめ」を避けることができる
その上で相談者がしてあげられるのは自殺志願者の人格の無条件肯定による時間稼ぎだけ
(自殺の要因になっている問題そのものは相談によって直接解決はできない)