【全ての現代人が知っておきたい自殺に対する基礎知識-その⑥-自殺のプロセス解剖編】
「自殺」という人間にとって不可解な現象を解明するため私たちは「自殺の起源」をたどり、そして「自殺のメカニズム」を突き止めることに成功しました。
cf.【自殺の起源】なぜ人間だけが自殺できるのか?(④)
cf.【自殺のメカニズム】なぜ人は「死にたくなる」のか?(⑤)
私たち人間の「生」は常に自殺リスクと背中合わせにあり、抽象化思考の水準低下によって起こる【自殺兆候】は自殺志願者に「死ぬこと」こそが究極の救いの道であるかのように錯覚させるのでした。
では、自殺の真の要因である【自殺兆候】を招く抽象化思考の水準低下はいったいどうやって起こるのでしょうか?
今回は実際に自殺完遂者が体験する事象に沿って、「自殺」というバグプログラムが起こるプロセスについて反心理学を進めていきたいと思います。
「そうだ、自殺しよう」なんて思いつきで自殺しちゃう人は多分いないだろうから、自殺完遂者は何らかのシナリオを経てそこにたどり着いてしまったんだろうね。
死人は口無しだから、自殺完遂者は狂人や特別に心が脆い人だったように語られがちだ。だが実際には彼らはいたって普通の精神状態から3つのステージを推移していき自殺を完遂することになる。
健常者が自殺完遂者になっていく3つのステージ?本当にそんな恐ろしいシナリオが存在しているのかい?
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し
空海『秘蔵宝鑰』
Stage1:【兆し】-自殺温床
自殺完遂者の独白その①:『死の幽香』
いま考えると、それはすでにその頃からはじまってしまっていたのかもしれない。ボクは不眠や倦怠感、うつ病のような症状に慢性的に悩まされていたんだ。。。
自殺のプロローグはいつも何らかの身体的不調から始まります。「死にたい」という明確な意思は、場合によっては数ヶ月、数年の期間を要して身体的な違和感とともに醸成されていきます。
その頃はまだ「死にたい」なんて思うことは少しもなかったはずだよ。ただ「死」をイメージさせる情報、、、例えば暴力的な描写が多く含まれる動画や映画。それに芸能人の自殺に関するニュース記事や掲示板の書き込みなんかをスマホで何気なく検索するようになっていた。けどそれらの「死」や「自殺」は自分自身のそれとは結びつくことはなく、ただ誰かの「死」でしかなかったんだ。。。
「自らの死」に結び付けられることはありませんが、自殺志願者予備軍である彼らのもとに、強い「死」のイメージへの欲求が生まれてきます。「セックス&バイオレンス」と総称される「性」と「暴力」に関するコンテンツに過剰に反応してしまうようになるのがこの時期の特徴です。
【自殺兆候】を引き起こす4つの環境要因
これまでの探究で自殺が【自殺兆候】という錯覚状態を要因として起こる現象であることが明らかになりました。ここでは健常だった人が、【自殺兆候】を患い自殺志願者になっていくプロセスについて観ていきます。
「茹で蛙」って知ってるかい?ぬるま湯に気持ちよく浸かっていたカエルが、鍋に火をかけられたことに気づかずにそのまま茹で上がって死んでしまうって話だ。
居心地が良い場所に胡坐をかいていると環境の変化においていかれてしまうっていう戒めのような例え話だよね。それと自殺になんの関係があるんだい?
そう。自殺っていうのはまさにこの茹でガエルのようにして始まるのさ。つまり鍋の中に放り込まれた人間は気づくこともなく自殺完遂に向かい始めてしまう。そしてその火にかけられた鍋に当たるのが次の4つの環境だ。
その4つの環境っていうのが3つのステージの一つ目ってことだね。
ステージ1:【兆し】さ。上から順に見ていこう。
①社会離脱、コミュニケーション不足
人間にとっての社会参加、つまり他人との関わりは、言語を媒体にして行われます。言語は抽象化思考による産物の主たるものです。そのことから社会参加は必然的に高い抽象化思考水準を要求します。
私たち人間は社会参加・他人とのコミュニケーションを通して抽象化思考の水準を維持しているとも言えます。それは逆に、コミュニケーションが不足することによって抽象化思考の水準を維持できなくなってしまうことを意味しているのです。
人間が行うコミュニケーションはそれ自体が目的であるのと同時に、人間が人間らしくあるための重要な機能-抽象化思考の水準を保つための働きも持ち合わせているのさ。
このコロナ禍じゃあ、学校が休校になったり、リモート授業、在宅勤務なんかでコミュニケーションの機会は確実に減っているはずだよ。それが原因で抽象思考の水準低下が起こりうるんだね。
②自我肥大
「自我/自己」という語をここでは「他者を想定しない自分/他者を想定した自分」という二項対立で定義します。ひらたく言い換えるなら、《自我=自分勝手なわがままな自分》、《自己=他人のことも考える理性的な自分》といった感じです。
「自我」は抽象化思考を要しない「より動物的な自分のあり方」であり、「自己」はその逆で「人間的なあり方」です。ここでも他人と協調したりする自己的な振る舞いは抽象化思考を要するとともにその水準を維持する働きを成します。よって、逆に、自我が肥大するような環境-他人に気を使わずに好き勝手振る舞えるような環境-は抽象化思考の水準低下を招きます。
①社会離脱と②自我肥大はよく似ているが、①は帰属集団の有無、そして②はそういった集団の中でのその人のあり方と考えてくれればいい。「社会参加しているが自我肥大を起こさせる環境」や、「社会参加はしていないが、自我肥大が起こっていない環境」のどちらも想定が可能なことからこれら二つは別の軸だといえる。
要するに、ワガママな振る舞いが可能な環境ってことだよね。確かに他人に気を使うっていうのは相手の立場になって考えることが必要だから高度な抽象思考を要するね。それをしなくていい環境っていうのはその機能を鈍化させてしまうっていうことか。
③情報過多
人間の思考は五感から送られてくる様々な刺激-情報を連結、交換することで練り上げられます。抽象化思考はその情報操作の中でもかなり高度な編集作業であり、高度な抽象化を実現するためには思考が構築される場(内界)が整理されている必要があります。
ちょうど散らかった机の上で作業する時のように、頭に入力される情報が多すぎて思考の場が煩雑になってしまうと、注意が散漫してしまい、高い集中を保つことが難しくなります。
よって仕事や日常生活の上で処理する必要があったり、いやでも目に入ってくる情報があまりに多すぎると、思考そのものの効率が低下してしまい、その結果、高度な思考作業である抽象化思考の水準が低下をやむ負えなくなってしまうのです。
先の2つの環境が「抽象化思考の機能が鈍化する要因」であったのに対し、③情報過多は「抽象化思考そのものの働きを妨げる要因」と言える。
スマホを見ていると、次々と画面に現れる情報に反応しているだけで、とても思考をしている感じではなくなるね。スマホをはじめとする情報過多って、コミュニケーション不足や自我肥大とも間接的に繋がっている気がするなあ。
④身体リズム不全
人間に限らず生命は絶えず代謝をすることにより活動、繁殖を繰り返しています。人間はその代謝活動のサイクルの一部に脳を使った思考を組み込んでいるといえます。
よって身体を働かせる代謝活動そのものが低下してしまえば、思考という活動の水準も鈍ってしまいます。
心身二元論といった考えがあるように、人間は思考という働きを身体から切りはなして考えがちだ。だが思考を司るとされる脳だって身体の臓器の一つに過ぎない。身体レベルでの失調はもちろん思考に影響を及ぼすし、それは抽象化思考により深刻なダメージを及ぼすことになるだろう。
④身体リズムっていうのは、早寝早起きや適度な運動、食事を決まった時間に摂るといった生活習慣のリズムってことだよね?確かに夜更かしや不摂生が続くと思考がまとまらなくなったりするから、やっぱり身体と思考って切り離せない関係があるんだね。
そうさ。そして③情報過多や④身体リズム不全に関しては、抽象化思考というより思考の働きそのものの水準を低下させてしまうという意味で、より深刻な影響を与えるものと考えられる。
【自殺温床】と化した現代社会
以上4つの環境要因にさらされることによって健常者は【自殺兆候】を発症し自殺志願者となります。
そして現代はこれら要因が併発しやすい環境が整ってしまっています。現代は自殺志願者を量産する「自殺温床」と化しているのです。
なんだか現代ってこれら4つの環境要因をデフォルトで準備しているくらいの感じがあるよね。ボクたちってこんなリスキーな環境に知らず知らずのうちに身を置いていたんだ。。。
社会が「人々が入った大鍋に水を張って火をかけている」ようなものさ。自分で水温の変化に気付いてそこを飛び出さない限り、君たちはまとめて茹で蛙になってしまいかねないってわけだ。
これまた詳しく上から順に見ていくことにしよう。
①社会離脱、コミュニケーション不足を引き起こす要因
核家族化、地域社会のコミュニティの解体や、リモートワークといった非対面型の働き方は他人との関わりで生じるストレスを減少や仕事の効率化に貢献したかもしれませんが、同時に人間にとって必要最低限度のコミュニケーションの機会を奪いつつあるのかもしれません。
また、社会問題となって久しい引きこもりもコミュニケーションの不足を伴う主たる問題の一つでしょう。
コミュニケーションにはストレスや非効率がつきものだ。「スマート」であることを善とする資本主義社会において、それらは排除の対象となる。現代からコミュニケーションの機会が奪われていくことはいわば必然の流れってわけだ。だが、スマートであることは非効率さとともに人間にとって不可欠な何かを奪ってしまうという事実を見落としてはならない。
②自我肥大を引き起こす要因
近代的自我の概念は人々に「我がままであること」を推奨しました。「自分らしさ」や「個性」といった幻想はこれまた西洋からもたらされたSNS(ソーシャルネットワークサービス)というツールにより拡散・拡大を迫られます。
また資本主義経済はそうやって煽られた自我を際限なく消費行動に巻き込みます。欲望を原動力に伸縮を繰り返す経済は人間の自我を肥大させ消費行動を促します。
SNSは生活に欠かせない必需品となり、その画面上には欲望を煽る広告が散乱しています。私たちは常に「自我の肥大を迫り、欲望を煽る装置」に監視され続け、そのことにも気づくことなく生活を送っているのです。
こうやってきくと、ワガママってもはや個人の性格の問題なんかじゃなくて社会そのものに仕組まれているようにすら思えてくるね。学校では協調を教えつつ、実際の社会構造は裏でワガママであることを推奨している。最終的にそれが誰かの自殺に結びつくのだとすれば、いよいよ自殺は精神論なんかじゃ太刀打ちできない問題だってことが明らかになってくるね。
③情報過多を引き起こす要因
上で見たように現代の経済は人々の欲望を煽ることで機能しています。情報化が進むに連れて消費広告に要する情報力は爆発的に増大してきています。スマホを1時間眺めている間に目に入ってくる情報量はどれほどのものになるのでしょうか。
また画面上に溢れる情報の中から注意を獲得し消費行動を促すためには、他の情報に比べより強い刺激でアピールすることが求められます。結果、スマホをはじめとする情報メディアの画面上にはより激しく、より頻繁に、より刺激的な描画や表現が溢れることになります。
人間の脳の処理能力にはもちろん限界があり、想定された被情報量があるはずです。発信する側はそんなことはお構いなしに、強く・大量の情報を垂れ流すため、人間の脳はすぐに情報過多、オーバーフローしてしまうことでしょう。
資本主義先鋭期において、人々の脳は情報過多によるいわば【情報公害】に犯される事になる。情報公害は【精神汚染】を引き起こし、様々な精神異常を招く。その一つが【自殺兆候】なんだ。
また最も人間の注意を容易に引くことのできるコンテンツは「セックス&バイオレンス」(「性」と「暴力」)だと言われています。そして「セックス&バイオレンス」は最終的には「死」に行き着く構造を持っています。それゆえ過度な性的欲求や、より過激な暴力表現の希求の背景にはいつも「死」への欲望が隠れていることが窺えるのです。
メディアの画面を開けば必ずどこかに「セックス&バイオレンス」を含むコンテンツが表示されます。このことは端的に現代社会がその成り立ちに自殺という問題を孕んでいるという事実を示唆しています。
④身体リズム不全を引き起こす要因
現代は就学、就労、余暇活動のあらゆる面で多様性を獲得しました。より自由で選択肢の増えた現代社会において、身体リズムを保つため、規則的な生活の型に自身をはめ混むことは困難になってきています。
また、学校や会社といった特定の帰属集団は外部から制約を与え、未然に生活のリズムが崩れることを防ぐ働きを持っています。それら外からの支えを失うこともまた身体リズムを保つことを困難にしています。
帰属集団の喪失といえば、コロナ禍のリモート化が拍車をかけているように思えるね。学校に行かなくていい、職場に行かずに在宅で仕事をするって、いっけん楽なようで、実は逆に疲れたり苦痛を感じだしたりするんだよね。人ってある程度外部からの縛りをかけられた方が返って楽に生きていけるのかもしれないな。
Stage1:【兆し】-自殺温床
ステージ1では4つの自殺温床環境下に晒されることで、本人が気づかぬうちに自殺兆候を発症し始めます。初期の自殺兆候には、「死にたい」という明確な希死感は見られないことが多く、その代わりに倦怠感や不眠、より刺激の強い情報への依存症状が現れます。この段階では自身も周囲の人も、彼が「自殺の回廊」に歩みを進め始めたことを悟ることはほとんどありません。
Stage2:【迷い】-最後の僻地
自殺完遂者の独白その②:『死に誘う吐き気』
「死にたい」「消えてしまいたい」とふと考えてしまうようになっていたんだ。それが「悪いこと」かだとか、「ボクが死んでしまえば誰かに辛い思いをさせてしまう」なんてことは、その時には少しも考えられなくなってしまうんだ。冷静じゃなくなるというか、「死にたい」って思いがボクの全てになってしまって、それ以外の「正しさ」なんてものは全くとるに足りないものに感じてしまうんだ。。。
【自殺兆候】を発症してしまった自殺志願者にとって、「死」は全ての苦しみからの救済地と錯覚されます。そして「自殺のリミッター」として働くはずの善悪や道徳、合理的判断は全て解体されていきその役目を果たさなくなってしまいます。
吐き気。それはボクを死に誘うんだ。思考もまとまらなければ言葉を取り繕う気力も沸いてこない。全ての痛みや不快感が「死にたい」「消えてしまいたい」という真っ黒な穴の中に吸い込まれていってしまう感じだったね。。。
「死に誘う吐き気」は、文字通り身体的不快感を伴う希死念慮として現れます。抽象化思考の水準低下を起こし言語水準が低下した状態では全ての不快感が「死にたい」「消えたい」といった希死喃語に翻訳されてしまいます。この頃にはあらゆる身体的・精神的苦痛が「死」のイメージと直結させられ自殺志願者の世界を覆い尽くしていきます。
希死の4つのタイプ
希死、つまり人間が「死にたい」という思いにもいくつか種類がある。ここではそのことについて整理しておこう。
死にたいくなる理由は人それぞれだろうけど、そういう意味じゃなくてタイプっていうか希死にも類型のようなものがあるってことかい?
その通り。希死は大きく以下の4つのタイプに分類されるんだ。
うーん、確かに4つとも「死にたい」ってことについてのニュアンスが違うような気はするけど、よくわかんないや。
じゃあ順に説明していこう。
④理性(リーズン)型ってどういう意味だい?自殺はやっぱりどう見ても理性的な行為ではないよね?
そうだね。実はこれまでの議論では④以外の希死について話しを進めてきたんだ。だが実は④のように理性的な希死によって為される自殺は実際にある。ここでは一連の議論の例外として先に紹介しておこう。
そっか、わかったよ。自殺といっても「自ら死ぬことに明確な理由がある行為」のことだね。例えば戦争時の指令による特攻や自決。あとは昔のお坊さんが生きたまま仏になるために自殺することがあったって聞いたことがあるよ。
そうだね。そういった内容の自殺はこれまでの議論では除外して考察を進めてきた。これらが倫理・道徳的に正しいかどうかといった話はもちろん置いておいて、ただ、それらが【自殺兆候】といった錯覚によらず選択、あるいは強制されたという意味で「理性型」と名付けさせてもらったよ。
日本が豊かになる前は、借金なんかで首が回らなくなって自殺してしまう中年男性が自殺者の多数を占めていたって話があったけど、それもある意味この「理性型」に分類できそうな気がするな。
cf.
そうだね。全てがそうだったかは分からないが、④理性型の希死が「死ぬしかない」という表現で表されることからも、かつてのこの国では経済的な理由で「理性的判断」をもって自殺した人はかなりいただろうことが考えられるね。
【自殺兆候】と希死の類型
それじゃあ残りの①〜③の説明をお願いするよ。
ここでいったん【自殺兆候】について思い出してほしい。「3つの自殺兆候」は「2つの抽象化思考シフト」によって引き起こされていたね。
cf.「自殺兆候」
確か、一つ目のシフトは「死の観念」による自殺リスクのストッパーを取り払ってしまうシフト。もう一つは言語水準の低下へのシフトで希死喃語を発生させる原因だったよね。
その通り。そしてこの2つのシフトを軸とした「2×2のマトリクス」で先に挙げた4つの希死の分類ができるってわけなのさ。
ストッパー(有)-消極性- | ストッパー(無)-積極性- | |
希死喃語(有)-衝動性- | ③模擬(シミュレート)型 | ①待機(スタンバイ)型 |
希死喃語(無)-意図性- | ④理性(リーズン)型 | ②企図(スキーム)型 |
つまり、2つの抽象化思考水準のシフトそれぞれの程度、自殺兆候の進行具合に応じての分類が可能だってことだね。
そうさ。そしてそれぞれの軸に、[自殺に対しての消極性-積極性]、[自殺の意図性-衝動性]が対置されている、この組み合わせで4つのタイプに分かれるってわけさ。
じゃあ初めにみた④理性型は、[自殺に対しては消極的、かつ、自殺の理由が明確で意図的]だから例に挙げた「死ぬしかない」といった理性に基づく判断による自殺タイプに分類されたのか。
その調子で見て聞くことにしよう。次が③模擬(シミュレート)型だ。このタイプは[自殺に対しては消極的、かつ、自殺の理由が不明確で衝動的]だから「消えたい」といった漠然とした心象をとることが多い。以前話題にした新型化した「理由なき希死」の一つがこれにあたる。
cf.「理由なき希死」
③模擬型はどういった顛末を取ることになるんだい?自殺することに対しては消極的、つまり理性が働いていて、死ぬのが怖い、死ぬことは良くないって気持ちがまさっている状態だよね。「消えたい」っていう漠然とした想いだけで、自殺には至らないのかな。
そうだね。こちらは自殺には消極的でかつ死ぬための明確な理由がないから基本的には自殺完遂に至る可能性は少ない。多くは自傷行為程度で留まるだろうね。
ああ、リストカットなんかは「理由なき希死」の表れのひとつだったんだね。それに「基本的には」ってことは、このタイプでも自殺完遂してしまうことがあるってことかい?
そうだね、どのタイプも抽象化水準のシフトにより型が推移することはあるからタイプが変わった場合が一つ。それにもう一つだが、自殺完遂の可能性が一番低いこのタイプでさえ自殺に至ってしまうことがあるんだ。それが以前話題にした「安易になされる相談による善意のとどめ」により死ぬ理由が後付けされてしまった場合だ。
cf.「自殺志願者の相談相手になってあげてはならない」
②企図(スキーム)型っていうのはマトリクスで見ると[自殺に対しては積極的、かつ、自殺の理由が明確で意図的]つまり、理性解体が進んでいて死ぬことへの躊躇いがなく、自殺するのになんらかの理由がある状態ってことだよね。だから「〇〇してから死にたい」っていうことになるのか。
そうさ。①と②のタイプは理性解体が進んでいるため自殺完遂率が遥かに高くなる。ただ①待機型に比べると自殺完遂のためになんらかの「条件」を持っているため、生存率はその分上がることになる。ただ、このタイプには生存率の他に深刻な問題があるんだ。。。
深刻な問題?生存率が高いなら①待機型に比べると良い状態に思えるけど、、、
②企図型の持つ問題は、その理由、条件にある。「死にたい」理由が解決可能な問題であればそれさえ取り除かれれば誰も命を落とさずにハッピーエンドだ。だがその理由が、例えば他人や社会への敵意や怨みのようなものであれば。。。
そうか、無理心中や無差別殺人、テロ行為のような「巻き込み」自殺を起こしてしまうことになりかねないんだね。「どうせ死ぬのなら何をやっても同じだ」って考えで、、、
そうだ。それが道徳的に間違った考えであることは議論の余地は無い。ただそれは実際に起こりうることだしこれまでも数多く起こってきたことなんだよ。
①待機(スタンバイ)型の方は[自殺に対しては積極的、かつ、自殺の理由が不明確で衝動的]だから自分が死ぬことに意味を必要としないから、わざわざ他人を巻き込んだりはしないだろうね。
そういうことだ。ただこの話では道徳・善悪の議論よりも自身の自殺の問題に焦点を当てて議論を進めている。その意味では当人にとってはこのタイプが最も不幸な状態なのかもしれない。【自殺兆候】の末期状態で錯覚の最渦中にあるからね。ただただ死の救済を求め、無限に続く苦しみの迷宮を彷徨い続ける状態だ。
Stage2:【迷い】-最後の僻地
ステージ2では4つの希死類型のうち①〜③のいずれかを煩い、「死に誘う吐き気」に悩まされるようになります。【自殺兆候】に侵されることで理性的な判断や不快感・苦痛の言語化能力が困難になってきます。この段階では明らかに自身が自殺に向かっていることが意識されるようになってきます。近親者であれば心身面の変化が露骨に見て取れるようになってきます。
Stage3:【境界】-黄泉比良坂
自殺完遂者の独白その③:『死の唯一神化』
喉はカラカラに乾き、頭の中ではグチャグチャになった痛みが反芻され続ける。ただただ「この苦しみから解放されたい。」その思いで時間をやり過ごしていたよ。ボクはこの苦しみを逃れて生き残るために、、、そう、「生きる」ために「死」にむかっていたんだ。変な話しだけどね。。。「死」だけがボクを救ってくれる。それが全てだった。
末期段階の自殺志願者の頭の中は死を伴う苦痛のイメージで埋め尽くされます。自ら苦痛のイメージを発火させそれを消費し、さらなる刺激-痛みを求め続けます。この段階の苦しみのほとんどは自殺志願者が自ら増大・増幅させた実態のない苦しみです。それゆえそれら苦痛そのものを取り除くことは不可能です。苦痛への依存状態に陥った自殺志願者はひたすら痛みを生産し、それを消費し苦しみ続けます。
最後の一押しが欲しかった。崖を飛び降りるような、坂を登り切るような。そのための一歩を踏み出す理由が欲しかったんだ。その時が来るのをボクは身を竦めて待っていたよ。もうこのまま力尽きてしまうかもしれない。けどその前に、ボクはそのための意味にたどり着きたかった。。。
自らの思考により無限に増殖する苦痛から逃れるための唯一の方法として「死」が神格化されます。死は苦しみを取り除くことのできる唯一神とみなされます。神の導きにより救われるために「死」に向かうというパラドクスの中を自殺志願者はひたむきに突き進みます。
そして幸いにも、その時はわりとすぐにやってきてくれた。ボクは全てから解放されたようにそこへと駆け出した。シャッターを切るように風景は切り取られ、ボクのセカイは瞬く間に画面端から黒塗りになり中央の一点に収斂した。それがボクの最期だったんだ。。。
力尽きるか、何らかのきっかけを手にするかにより自殺志願者は、念願の意思の先に到達します。境界の向こう側にあるのは「救い」でしょうか、それとも「さらなる苦悩」でしょうか。
おそらくそこにはそのどちらも存在はしないのでしょう。自殺完遂者の全て-セカイはここで終焉してしまったのです。
自殺完遂に至る4つのパターン
さて、最後はStage3:【境界】-黄泉比良坂だ。ここでは【自殺兆候】を発症した自殺志願者が、自殺を完遂するシナリオを観ていくことにしよう。
いよいよって感じだね。けど自殺完遂のシナリオっていうと、自殺の手段っていうか方法のことなのかな?ちょっとそういうことについて具体的に聞くのは気が引けちゃうな。
いいや、そんな下品な話をするつもりは無いさ。ここで観ていくのは自殺志願者が、自殺を遂行するに至る「経緯」についてだ。自殺志願者が自殺を完遂してしまうパターンは以下の4つがある。
この4つのパターンってもしかするとさっき見た希死の4つのタイプと対応しているのかな?
そうだね。上から順に見ていこう。①消耗型では、【自殺兆候】によって捏造された様々な苦痛に耐えられなくなり力尽きていく形で自殺を遂行してしまう。自殺を遂行するにはそれだけの気力が必要だ。末期の自殺志願者には普通その力さえ残されていない。最後の気力を振り絞る形でそれは遂行されることになる。
消耗していき、最後の力を振り絞って自らの命を断つなんて、、、けど当事者にとってはもはやそれしか道が残されていないように感じられてしまうんだね。
そう。そしてこの①消耗型は、希死のタイプていうところの待機型・企図型の自殺志願者がその道を辿ることが多い。待機型は、特に自殺に踏み切る理由がない。だから力尽きた時に遂行に至ることがほとんどだ。また、企図型の一部では、自殺の理由に行き着く前に、気力・体力を消耗し尽くしてこの最期を迎えることになる。
「一部」ってことは、企図型は他のパターンを取ることもあるってことだね。
そう。それが②時効型だ。時効型は、抱えている問題や苦しみに追い立てられる形で自殺に至る。企図型が典型だが、例えば、学校生活に悩みを抱えている自殺志願者が新学期開始前に自殺してしまうというパターンだ。
苦しみの対象である新学期の始まりに迫られるっていうことだね。悪質な「巻き込み自殺」も企図型の希死によるものだったよね。この場合も時効型に当てはまるのかな?
「巻き込み自殺」にの場合、何らかの被害を引き起こした末、「あとは自殺するしかない」という形で時効を迎えることになるね。
③教唆型っていうのは、さっき見た「善意の後押し」のことだよね?だから対応するのは模擬型の希死で、安易な相談を受けてしまうことによって、自殺する理由を見つけてしまい自殺の遂行至ってしまう。
その通り。そして最後の④事故型もまた模擬型の希死に多く見られるパターンだ。模擬型は漠然とした希死はあるが、自殺に対しては消極的だ。だから無意識的にリストカットやオーバードーズ(薬の過剰摂取)で自殺のシミュレーションをしてしまう、、、
それが何らかの弾みで死に至ってしまう。側から見れば意図的な自殺だけど、当人にとっては事故だったってことだね。
「自殺完遂の4つのパターン」と「希死の4つのタイプ」の対応を表にまとめておこう。
【自殺完遂のパターン】 | 【希死のタイプ】 |
①消耗型 | 待機型・企図型 |
②時効型 | 企図型 |
③教唆型 | 模擬型 |
④事故型 | 模擬型 |
自殺完遂者が見せる「兆候」に気が付けるか
ここまで自殺完遂者がその最後の瞬間までにどのようなシナリオを辿るかを見てきた。最後にこれらのことを踏まえて「外部から自殺志願者が見せる兆候に気がつくことが可能か」について洞察を進めていくことにしよう。
そうだね。これだけ自殺完遂者の観ているセカイが具体的にわかれば、当人だけでなく周囲の人がそのサインに気づいてあげることができるかもしれないからね。
結論を先に述べると、残念ながら自殺志願者が見せる兆候に他人が気づくことは極めて難しい。精神的な異変であれば見てわかるが、それが自殺に結びつくかまでは判断がつかない。さらにもし気づくことができたところで、、、
安易な相談によって返って自殺志願者を自殺の遂行に向かわせてしまう危険性がある。ってことだよね。
cf.「自殺志願者の相談相手になってはならない」
その通り。そしてこの結論の理由は、これまで見てきた通り、自殺という行為が多様なシナリオを経て完遂に至るものであるからだ。
そうだね。身体的な病気だったら、この症状ならこの病気が疑われるっていう対応関係がある程度掴めるんだろうけど、自殺については「死にたい」って口にしていても自殺しなかったり、そんなそぶりを全く見せずに突発的に自殺をしてしまうケースだってあるって聞くし。。。
だから巷には、「本当に自殺をする人は死にたいなんて言わない」とか「悩みを自分の内に抱え込みやすい人が突発的に自殺してしまう」なんていう無数の説が溢れかえってしまうのさ。自殺のパターンはいくつかある。そしてそれぞれ全く違う表情を見せる。だから安易に「これが自殺の兆候・サインだ」、なんてことは決めつけることはできないんだ。
それぞれの人が、自身が見聞きした個別の体験で部分的に語るから正反対の意見が拮抗して存在してしまうんだね。こうやって自殺が完遂されるまでのパターンが網羅的に解読されて全体像が見えてくると、どうしてこんなおかしな言説が浮上してしまうのかがよくわかってくるね。
じゃあその網羅的な視点で、「自殺あるある」を解読してみようか。
自殺あるある①:自殺する直前、悩みが無くなったかのように一時的に元気になっていた。
確かにこういう話は聞いたことがあるね。うつ病なんかを患っていた人が、回復したように見えた矢先に自殺をしてしまう。どうしてこんなことがよく起こるんだろう?
これは自殺完遂のパターン①消耗型の典型と言えるね。【自殺兆候】を発症して体力を消耗し、自殺に踏み切る力がなくただただ時間をやり過ごしていた。そんな折に、薬剤や身体的な体力の回復によって自殺を遂行する気力を手にしてしまう。元気になった途端に自殺してしまって周囲は困惑するが、当人はやっとのことで自殺に踏み出す気力を手にいてたというだけで、シナリオ通りの展開ってわけだ。
自殺あるある②:特定の月に自殺者数が増える
確か4月や5月に自殺者数が増えるなんて話を聞いたことがあるけどこれもパターンが関係しているのかな?
特定の月に自殺者が多い理由というわけではなく、年度や国によってある程度、特定に月に自殺者数が集中する現象についての理由は、自殺完遂のパターン②時効型によって説明がつく。それぞれの国や社会によって学校、会社なんかにおける精神的な負荷がかかりやすい時期というものがある。その負荷に迫られる形で自殺が遂行されるんだろうね。
自殺あるある③:周囲に自殺をほのめかしていた、相談していた人がその後、自殺してしまった
相談に乗ってあげた人が、「相談により問題が解決したはずだったのになぜ?」なんてことを綴った記事をネット上で見たことがあるけど、これも「善意の後押し」をしてしまった可能性も考えられるね。
そうだね。自殺完遂のパターン③教唆型だ。他にも模擬型の希死を抱いて、自殺には消極的だった自殺志願者がネット上の掲示板なんかに「死にたい」って書き込んだところ、悪意のある閲覧者に煽られる形で実際に自殺に至ってしまうなんてこともあるだろうね。
自殺あるある④:「まさかあの人が」、自殺をしそうになかった人が突然自殺してしまう
これもよくある話だね。専門家は、「弱みを見せない完璧主義だった」とか、「抱え込みやすい性格だった」とかいう分析を並べ立てるけど、実際はこれもパターンの一つってわけだね。
これは自殺完遂のパターン④事故型と親和性が高いね。事故型は模擬型の希死を抱くことがほとんどだから本人ですら「自分がなぜ死にたいのか」わからない。だから周囲の人たちも彼が自殺志願者だったなんてことを知る余地もないことがほとんどだ。そんな人物が事故型の自殺を遂げてしまうとこれまた周囲は困惑してしまうというわけだ。
Stage3:【境界】-黄泉比良坂
ステージ3では4つの自殺完遂類型のいずれかをたどり最期の時を迎えることになります。ただ【自殺兆候】が末期に達したこの時期には心身ともに消耗が激しく、容易には自殺に踏み出すことができません。何らかのきっかけを得るか最後の気力を振り絞る形で自殺を遂行するまでは、頭の中を苦痛の刺激が乱反射するように繰り返されます。その苦しみを取り除く力を持つ唯一の神こそが「死」である。そんな時間を何とか生きゆくのです。そして4つのうちのどのパターンをとろうと最後は自殺の完遂に行き着きます。この時期は自身では自殺することだけが目的のように感じられ、そんな彼の姿は周囲から異様に見えます。
ネット上には、「自殺完遂者がなぜ自殺に至ったのか」や「自殺志願者が見せるサイン」について様々な憶測・議論がなされていますが、どれも部分的には納得がいくようなものでも、総合的に眺めるとそれぞれの主張が矛盾しており、どれが正しい見解なのか収集がつきそうにありません。
しかし、このように希死のタイプや自殺完遂のパターンを網羅的に整理することで、それらの矛盾が全体として拮抗してはいないことがよくわかります。
ただ、ここで大切なことは、だからと言ってこの類型をもとにしてでも、自殺のサインを見抜いたり自殺志願者を救い出すことはとても困難だということです。
改めてそういった認識を持った上で次回の記事からは自殺という難問への「対応・対策編」に入っていきたいと思います。
今回の反心理学のまとめ
・自殺志願者が自殺完遂者となるまでは3つのステージがある
・Stage1では、自殺温床と化した現代社会において【自殺兆候】を引き起こす4つの環境要因に晒された現代人は茹で蛙のように知らず知らずのうちに自殺志願者へと変容していく。
・Stage2では、4つの希死のいずれかを煩い「死に誘う吐き気」に襲われながら最後の僻地を彷徨う
・Stage3では、4つのいずれかのパターンを経て自殺完遂を遂げる
・自殺の経緯や、自殺志願者の見せるサインについて様々な憶測・議論があるが、それらは多くの矛盾を含んでいる。自殺を網羅的に類型化することでそれらの矛盾点は氷解するが、それでも自殺のサインに気づくことや、自殺志願者を救い出すことは難しい。
・の認識を持って初めて、自殺志願者を救い出したり、「死にたい」自分自身を取り扱う方法を身につけるための準備が整う。